通過した光は、光背に盧舎那仏とよく似た影を浮かび上がらせた。今年一年ありがとうございました。新年の準備にあらわれた仏さまに合掌。
小樽運河プラザでの作品展を終えた。
色々考えさせられる展示であったが、新規にプリントした二点を加え着色をのせたモノクロプリントのランドスケープとフレスコジクレー魅力が融合していい感じでした。また歴史感のある建築に時間の流れを意識した制作による写真プリントは相乗効果を考える良いきっかけになった。
ルタオ運河プラザ店のスタートに私の作品展示の話をいただき感謝しております!
やっと届いて開封したら本物だったAD200PRO II。これ、200シリーズ第三世代だろう。
WISTRO AD200 → AD200PRO → AD200PRO II
うちのAD200は2017年に導入したらしくバッテリーに貼った手書きシールからわかる。8年間現役で疲れ知らず。でもずいぶん前、型番にproが追加され光色の安定化と回転防止シュー採用がずっと気になっていた。今夏に思い切ってaliexpressにて二世代目を一台注文したんだけど受け取れず返送されてしまった。全額返金されたのでまぁいいんだけど。この時、すでに後に発売されることがアナウンスされていた三世代目。今回はモデリングLEDが光量強化とともにバイカラー化され、カラーになった液晶パネル、最新トランスミッターとのワンプッシュ連携といったところが進化した点のようだ。
年末を控えて機材更新を決めたのが11/29日。ブラックフライデーのセール価格に加えて1万円以上のクーポンも使えてしまい、日本で購入検討していた価格のおよそ1台分で2台揃うかもしれないという衝撃価格。小躍りしちゃうよね。ただ他の人のショップへの質問を見ると「本物ですか?」などの書き込みにお店の返事は無し。ちょっとした賭けになっちゃうけど思い切ってみた。。
案の定一向に発送されないし。。1週間を経てやっと荷物は出荷されたものの日本の税関あたりでまた1週間留め置かれ、ローカル配送会社に引き継がれまたまた一週間。ゆっくりゆっくり深圳から札幌まで移動してきて、24日目にしてようやく本日配達された。しかし2個口の一個しか届いていない。どうなることやら。。。
aliexpressの標準配送というのは、今後覚悟を持ってポチらなければならないといういい勉強になった。25日を要した今回のように時間に余裕を持って注文するんだな。それにしても長かったぁ。
新型のAD200導入の訳は、SL2でHSSを使うため。なんか秋にかけてそーいう撮影が多かったから盛り上がっていたんだけど、この後ちょっと静かかも。なので年明けからの普通づかいと、バイカラーのLEDを時々試してみるあたりから始めてみようと思う。
お仕事先さまからお声かけいただいた。毎年恒例の蕎麦打ち本番へ向け秋から試し打ちが続いているというのは聞いていた。その試し打ちも大詰めで本番前の最後の詰めとなったようで、わたしも試食へ誘っていただいた!
いや〜、せっかくだから、手打ちの様子も見たいです〜って言ってみたら快くオッケー出ました。
二人の打ち手が、水廻しから始めこれ意外とじっくり丁寧にダマをつくって行くんですね。そしてあるところで緑色に粉色が変わった! その玉を練り込んで一塊にしてゆき、やがて菊の花のような形状を描きながらの菊ねり、頃合いをみて円錐形に変化させる。これは空気を抜く大切な工程。この円錐を上から慎重に体重をかけて鏡餅の一玉のようになったところで打粉をひいた延し台へ移動。最初はここも慎重に手で広げてゆき大きな円形にさせる。それから長い延棒が登場し、より薄く延されてゆく。やがて四角く薄い座布団のような姿に成形していった。四角くなったら次はたたみ、そしてついに最終作業の麺切り。
茹で上がったそばを口元へ運ぶとその薫りが際立つ。そして舌の上から喉を滑り落ちていった手打ち蕎麦は、素晴らしく絶品でいい経験をさせていただきました。
ご馳走様です!
第一印象「おっ、おもたい」
第二印象「かなりしっかりしてるし作りも上質」
第三「圧板の留めの木材、うまく機能してる」
第四「圧板で押さえいないとガラスがカタカタしてちょっと心配」
とは言っても、アメリカから飛行機に乗って割れずにやってきたんだから、使いから次第で何の問題もないだろうな。そしてこうやって焼き具合が見られるんだわ。
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Youtubeやwebsiteから情報を引き出したり、PGIから取り寄せた薬品だったり、自家製写真プリントを考えてきたなかでいつも気になる存在があった。サンタフェ発のオルタナティブフォト界のキーマン。
Bostick & Sullivan
各種技法に合わせた薬材のセットや単薬、資材、露光機、コンタクトプリンターなど、旧来の写真プリントを行うために必要なものが製造販売されワークショップも開催している。加えてデジタルネガ制作のプロセスやプロファイルを提供してくれている。
サイアノとアルビュメンは露光途中のネガの焼き具合を見られる。そこで用いられているコンタクトプリンターについてなんだけど、この会社から多くのプリンターの手に行き渡っているのがわかる。動画サイトでの多くの発信制作者が使用している圧板の押さえが成形ステンレスのもの。圧板に当たる裏板が2ブロックに分かれ、一方を開け露光の進行具合を確認できる優れもので、ハンドリングもとっても良さそう。日本のPGI扱いのそれも同一品。しかも8万円ほどで在庫切れという状況に悲しくも衝動買いせずに済んだ。で、どうするか。手作りも少し考えたけど、結果B&Hによさそうなプリンターを見つけたのでそちらを取り寄せすることにした。これがあれば、現状の途中経過を見られない挟み込む仕組みから一歩進む予感。
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https://www.bostick-sullivan.com/ |
T.F氏にプリントをお願いした小樽穴滝と美深湿原を飾ってきた。配置の修正もして残りの会期を新たな気持ちで。
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「廻り~Landscapes Hokkaido」
なにげなく繰り返され、時間をかけて少しの変化をつづけているいつもの森を意識するため、
水の流れに眼をとめ「記憶色」で再構築した大判作品9点をおよそ20mの回廊に展示。
また、石灰が徐々に顔料を抱き込むフレスコにて制作。
期間中作家不在となり恐縮ではございますが、お近くをお通りの際はぜひご観覧いただけますと幸いです。
会場: ルタオ小樽運河プラザ内 二番庫回廊ギャラリー
会期: 10/11〜12/26 無休
観覧時間: 午前10時〜午後6時
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つづき。
紙はミツマタ。
薬剤は数ミリリットル単位で慎重に吸い取り、パレットに放つ。平筆でそれを吸い取り、筆先の薬剤をなじませ、軽く絞る。
薄い和紙の四隅をマスキングテープで軽く留め、ネガサイズよりやや大きめにトンボをつけ、その中を、先程の平筆で横方向に塗って行く。筆は返さずに1方向へのみだ。それを4、5回繰り返して一旦下まで行く。筆が走った。場所は色が乗るので濡れているのか濡れていないのか、およそ見分けがつく。濡れていなさそうな箇所のみ再度筆を加えた。
1回目は、1階塗り。それを段階旅行で、3分6分9分12分24分とした。どうやら12分が良さそう。
2回目は、一通り塗った紙に、2度目の塗布を試みた。これは1度目と2度目に明らかに差が出る露光結果となったので、できれば1回で塗り切るようにしたい。
3回目。ここからは、もう本番。1枚の紙に塗るには薬剤がほんの少し足りなかったので、やや多めの3ミリリットル1回分の使用量とした。要するに、筆にたっぷり含ませて1回で塗り上げるのが良さそう。とは言え、塗り足りない箇所は。追加塗りを試みている。露光時間12分。なかなか良い結果だ。
4回目、ネガを変え同じ調子で繰り返す。
5回目、ネガを変えて同じ調子で繰り返す。
6回目、ネガを変えて同じ調子で繰り返す。
7回目、ネガを変えて同じ調子で繰り返す。このネガは、天井画を撮影したものだったけど、このプリントのみ、濃い部分と薄い部分と言う画面を分断するようなムラが発生して、良い結果とは言えないプリントになった。
集中力と作業時間の関係で今日はここまでとなったけど、まだまだ結果が思ったようになっていない。次回に向けていろいろ課題ができた。
大阪と東京での制作を体験してやっぱり自分でもやってみたいと、そんな心持ちでおりました。
薬剤やその他機材のパーツ等徐々に事務所へ集まっていたのであります。昨日撮影が流れたので、ぽっかり開いたスポットに何をすべきか迷いつつ、露光機を形にすることを思いついた。3つ買った紫外線ランプ。内1本に不具合あって返品買い直しとなっていたけど、3本目も揃い、何とかこれで形になりそう。ただ点灯したところ、大阪や東京で体験した光の色や光量がちょっと違うように感じていた。とは言え、まずこの揃ったパーツで組み立ててみよう。
細長いランプを三連にして、イレブンバイフォーティーンのプリントが可能なサイズ感になったので、まずまず良い感じではないだろうか。概ねランプが形になったところですぐに試してみたいというのが心情だよね。
インクジェット用だけど、使ってなかったA4サイズの薄手和紙をメディアに、大阪用に作ったネガを用いて事務所初挑戦のサイアノプリントへ。さて、さて、2 回のワークショップ学んだことを形にできるだろうか。そして、アンナアトキンスさまのように、美しいブルーのプリントに近づけることはできるのだろうか。
小樽の歴史的建造物の中に私の作品が展示されるのは初めてのことです。縁あってお声掛けいただきました。ありがとうございます。
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「廻り~Landscapes Hokkaido」
なにげなく繰り返され、時間をかけて少しの変化をつづけているいつもの森を意識するため、
水の流れに眼をとめ「記憶色」で再構築した大判作品9点をおよそ20mの回廊に展示。
また、石灰が徐々に顔料を抱き込むフレスコにて制作。
期間中作家不在となり恐縮ではございますが、お近くをお通りの際はぜひご観覧いただけますと幸いです。
会場: ルタオ小樽運河プラザ内 二番庫回廊ギャラリー
会期: 10/11〜12/26 無休
観覧時間: 午前10時〜午後6時
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教室一番乗りしてしまったら、先生が準備を始めていて見本のガラスプリントがフレームに納まっているものを出して見せてくれた。中世の絵画のその図像も美しいが、それを引き立てる艶やかさとともに浮き上がるブルーのガラスに定着した透過絵が存在感ある。
ガラスに感光材を塗ってプリントするというのは、若き日に試みたアートエマルジョン以来。そういえば乳剤が剥離しかかったっけ。そんな当時のことを思い出す。今回はサイアノ感光剤をガラスに塗布して乾燥までしたものを先生が仕上げてくださっている。これまた先生が作成してくれたネガを使い私たち生徒が紫外線密着露光を行う。露光後画像が見えているじゃないか。「うまくいきそう」と先生。その後、そっと水洗し、薬剤の施しで色合いをシメて、ガラスプリントを水からそっとそっと上げるというものだった。
レシピを公開してくださって、それによるとポイントがいくつもあった。札幌へ戻って挑戦してみたい。
sl2 w/ Makro-Planar T*50mmF/2 ZE |
見積もり2ヶ月、修理8ヶ月と宣告されていたSシリーズのウェツラー帰還の旅はずいぶん短縮された。
備忘録として
(typ007)故障発覚、発送、不具合確認07/03、本国送依頼07/03、見積もり08/17、進行、帰国の連絡09/05
(typ006)故障発覚、発送、不具合確認07/23、本国送依頼07/25、見積もり08/28、進行、帰国の連絡09/20
その間に活躍したSL2は、AFがすばらしくモウシブンナイ。しかしながら撮影中タブレットへのプレビュー画像転送に問題を感じて、結局背中にmacbookproを背負ってcaptueroneでテザリング&ipad転送というかたちになってしまった。。これならばgfxでも同じことができたもんな。。
アーティストT.F氏に工房仕事としてプリント依頼をお願いしたらこころよくオッケーのお返事。今日の今日で対応してくれるなんて、そーいう人も会社とか、もうこの時代にはいないからね。しかも時間をかけて作品の良いところをプリントで引き出してくれる丁寧な対向に、感激〜。素晴らしい工房仕事でしたぁ。
私の問題はJPEGのみでデータを持参していたこと。意識が低くて反省しております。。
とにかく助かりまして、本当にありがと〜!!
先日5年目の経過観察へ市立札幌病院へ行ってきた。採血採尿し45分後に造影剤を使ってCT撮影。受診科の前で待っていると自分の番がやってきた。いつものM先生。「気になるところはありますか〜」と。そこで残り一つの腎臓に石灰化の疑いを指摘されている人間ドックの結果を話してみた。「う〜ん、石灰化は骨のようにctでは白く見えるからねー」と断層画像をスクロール。「ありませんよね〜」と。そうか、石灰化は無いのだ!
M先生「腎臓は問題ないですねー」「でもね」
...、おやっ。げ、もしかしてヤバイやつか!
M先生「一年おきに診てきたPSAが急にね。これ基準値が0-4.0になっていて、4.0は70代なんですー。それであなたの年齢だと、今回の数値は上限に近いんですぅヨォ」
あっ、確かに一年前より急上昇しておる。安心させるべく話術。さすがM先生!
M先生「半年後にもう一回検査しましょうねー、三月。」
あぁ、やっとこさ5年経って次は一年後の予定だったのに。。残念。でも診てもらえているのを良しよう。
というわけで、残った腎臓の調子も良いし癌の明確な再発は見られないものの、疑い箇所が残ってしまった5年目なのである。年齢による前立腺の肥大による数値の変化なのかもしれないけど、跳ね上がり方が怪しいのは自分でもわかる。しかし過剰な心配はせずに半年後の受診まで過ごしたいと思う。先生、また春によろしくお願いいたします。
ゼミの伊藤先生が来道されていたのもあったけど、2018年にミッドタウンの21_21で観た時にとっても印象に残った台湾舞台車作品が東川に来ているので、行ってきた。久しぶりの東川は遠いね。2.5時間くらい。そして寒い。15度を下回ってきている。
沈昭良「環流・帰還」展覧会は三部構成で、台湾から日本へやってきて写真を学んだ頃のモチーフ築地から始まり、ステージ、漂流と続く。私自身は「ステージ」しか観覧したことがなかったので、始まりの築地と台湾の置かれた地理的文化的な側面を内包する新作の漂流を観る事ができたのはいい機会になった。しかも伊藤先生ったら作家さんにわれわれ研究生を紹介してくれたりして。恐れ多いです。。
やなぎみわさんのグランドマザーズはとっても好きな作品で、論文の参考作例にも挙げさせていただいている。なので写真家さんというみかたでやなぎさんを捉えていたわたしだが、今回は美術家・演出家として東川へいらしていた。その舞台が台湾の「舞台車」で行われたのだ。日本に一台しかないらしい。四角いトレーラーが羽を広げ、じわじわと天面を空へ向かって突き上げると、ステージの中のギター演奏家が現れ、舞台の完成である。やがてポールダンスが始まった。やなぎさん曰く、舞台の始まりはポールダンスと決めている。というようなことをトークショウで語っていた。中盤にはアイヌ音楽アーティストの演奏にダンサーが加わりどんどん派手さを増していった。気温は13度くらいなのに、なんだか熱くて美しい。
舞台車の作品と実物を観られ、憧れのお二人の作家さんのお話を伺い、先生にも級友にも会え、良き良き機会でありました。
9/15-9/16の関西は自分にとっての新しい体験でありながら、およそ200年前の写真技術の古典。青と茶色、鉄と銀、紫外線反応と薬剤によって浮かび上がる絵、それは手作業によって風合いのあるプリントへと完成する。高速道路下の文の里会館で行われるオフィスkさんの講座は個人レッスンで丁寧に教えていただけるので、じっくり沢山トライできて素晴らしい体験ができた。ha先生からも技術者らしい成功への道を聞かせてもらったし、二日間ご一緒してくださった神戸の写真家さん、とってもありがとうございました!
動物園駅すぐ横のホテル滞在にしたんだけど、そのすぐ横のアーケード街がカオスでさ。昼からカウンターで歌えるカラオケ居酒屋がた〜くさん。ねえさんたちが客引きもしてて。。地下鉄の階段下では倒れているおじさん。。なんか怖いエリアかもです。先生に宿泊先エリアのことを話したら、地元住民でも行ったことのないエリアだそうで。。。
今朝目覚めて思ったのが明日の準備が整っていないことと、人を撮影した時のタイミングのズレ。どうやらミラーレスの機械シャッターと、レフ機の機械シャッターとではタイミングが違うみたい。そもそもフラッシュ併用で混乱しないようメカシャッターを選択してたけど、先幕を一回閉じて、走らせて、後幕も閉じて、後幕だけまた開く的な動きと理解して良いのだろうか。だとすると、なんか動作多いし。レフ機とのタイミングの違いってやっぱありそう。調べてみても、ミラーレスにはレンズシャッター、メカニカルシャッター(おそらくフォーカルプレーン)に加え、電子シャッター、画素一斉読み出し、ラインごとの読み出し、ローリング、先幕電子、グローバルなどと昔の写真家には理解し難いシャッター機構が満載で、結局ところ理解に苦しむし混乱している。技術は合理的で人間味あるもののみを突き詰めてほしいけれど、もはやそれは無理。こちらから学んで理解してゆくか諦めるか。。。
それと機材を一つ更新すると付随するものも更新が必要になることが多くて、今回もカメラ本体を追加したことでフラッシュトランスミッターを追加購入した。ところが旧型フラッシュAD200のためそのままでは非対応箇所があることがわ発覚。そこでフラッシュ本体のファームアップを試みるもpcが認識してくれない。。そんなわけで新型200proを注文した。ところがこれが配送されない事態で返金処理対応中。。。あぁーあ。
先週から今日にかけて、夏期レポート提出完了で少し落ち着いた。芸術文化特論1600w、写真映像特論4000w、制作行為原論1200w、芸術史近現代1200w、芸術史ヨーロッパ1200w。問題が中身なのはもちろんわかっているもの、自分としてはできることを高められたと考えている。
今回レポート特に特論は、台風の影響で関西行きがキャンセルとなったおかげで、推敲をじっくり進めることができ、時間をとれてよかったと思う。もし台風が来ていなかったら、てんやわんやだったに違いないから。でも、 この週末の大阪旅程は台風10号の影響でキャンセルは無料でよかったんだけど、再日程の旅費は3〜4倍ということになってしまい。またまた震えてる。。
8/8にライカストアマイアミへ問い合わせたslカメラについて返事がきていた。このストアから以前旅立ち、大切に維持したオーナーから引き取ったものという。メンテナンスもおこたりなく、予備バッテリーが2本付いているという。画像をWeTransfarで数枚送ってくださったのを拝見すると、傷みや使用感なくとってもきれいでね。おねがいすることにした。
このストアは数千ドル以上のものはインターナショナルシッピングも無料となる。前にS007を頼んだ時もそうだった。会計画面でもちろん無料のupsを選んだのは、支払い総額が2万円くらい違うからね。ところがちゃっかりそれを選んだためだろうか、ルイビルにおよそ7日間も留め置かれ、8/16やっとこさ成田までやってきた模様。しかし関東は台風直撃中。どうなることやら。。
段ボール箱小さい。しかもなんか軽い。なんか嫌な感じ。。でも開梱すると黒いオリジナルボックスがあらわれた。中には案内の通り予備を含めバッテリー3個入り。モノは事前に送ってもらって見せていただいた写真の通り一部角に白いとこあるけどほぼほぼ使用感なしでとっても綺麗。綺麗すぎるから指でちょっとだけ撫ぜた後は写真整理用の白手袋を装着してみたりして。電池は全て完全放電されていて、まずは充電待ちしながら本体のフロントキャップを外しブルックリンから数日前に届いていたS-Lアダプターをそっと装着、そして手元のSummarit70csを。ずっしりしたマウントの精度がいい。これで形としては完成。もういいかなって充電完了するのを待ちきれず、一本恐る恐る装着して電源オン!なんか液晶にアニメーションが流れた。これ毎回だとカメラの起動はとっても時間がかかるぞー。もう一度オフにして再度オンで同じアニメーション。。でも今のところこれもなんかいいかも。電源入れるたびにライカアニメーションは特別感ありありだわ。でも、その分起動はとっても遅いのであります。。。そして、シャッターボタン半押しでピントが、作動、驚く。しかしどうやらシングルのみのようであるけどマニュアルフォーカスのみかと思って泣いていたので、いやいや、ホントよかったわ。
『Leica S-Adapter L』はほとんど出回らないマウントアダプター。
まぁ、うちのカメラはHもそうだけどSも同様で、これらのユーザーというのはほとんどいなくて、おそらく日本全体でも世界でも層は極めて小さいのだと思われる。なので、レンズを初めパーツなどユーズドの出現率は極めて低く、出てきてもそこそこ高価なのね。
このS-Lアダプターの存在は知っていたけど、最高に高価だし、SLカメラを所持予定もないので必要ではなかった。また中古で見かけること皆無である。そんなアダプターがSLの検討を始めた途端にほんと奇跡的にひょっこり市場に出てきた。
迷っているとすぐになくなる中古市場なので思い切ってすぐに決済まで進め、そいつがNYからやってきた。けっこう大きなはこのなかで沢山の緩衝材に包まれポツッと銀色の箱が鎮座。
オリジナルボックスにはインストラクションと出荷検品サイン、アダプター本体と三脚座が鎮座していた。手に取ろうとすると、ひんやりした感触に手触りのきめ細かさがSクラス。そして非常に重い。
これでうまくゆけば手元にある3本のSシリーズレンズがsl2で使える。しかし説明書を読んでみて、ここの記載のみが実際であることと捉えるならば、そこには驚きの事実がかくされていて、それでいま正直ふるえている。。
もし導入するとして、レンズがないしバッテリーを複数用意しなくてはならない。それとテストできなかったハイスピードシンクロの具合などもある。
ブレゲンツ以来、ベルギーからの知らせはオリジナルプリントについて。一枚送るようにとのことだ。嬉しいなぁ。どんな方が引き取ってくれるのだろう。在庫はなかったはずだからギャラリー保管の本から絵柄を選んでくれたのだろうか。
3/10を作成
今回から、、、
印刷機が変更になる。作品プリントのプロファイルづくりからスタートして、およそ10テイクで納得行く結果に近づいてきたもののハーフトーン再現が前の機械とは随分違っていて、絵柄ごとのプロファイルが必要となりそう。
体調悪かったなぁ。。
発疹→発疹→発疹→歯が欠ける→腹痛→咽頭痛→、腰痛(ぎっくり?..)→発熱→寝込む→3.8キロ減
最終的に腰痛あたりから、全身がっくりしちゃって、なるべく寝て、ひど汗で着替えてを繰り返し、数日かけてなんとか生還ぎみ。忙しくさせてもらっていて、本当の最終日に腰痛発生だったから、周りの助けがあって騙し騙しなんとかやれた。
そういえば先月S007が動かなくなった。予備に持ち出したS006も数日後通電しなくなって。自分もカメラも疲れ気味なのか。カメラはドイツに帰国中。自分も調子を整えなくては。。
7/16
8時発羽田行きの便だから4時起き。 久しぶりに飛行機に乗って人物撮影へ。撮影終わってみんなで新大久保へいってみる。予約しなかったけど結局マニトさんに入れたので赤字セットを三人でたいらげ、楽しい時間でした。同行者は韓国街の占いも楽しんでおったな。よしよし。
7/24
今日は花火大会なんだって。昼の明石焼き屋のおっちゃんが「なんだぁ、あんたら仕事かいな」っていって、焼きそばふた玉の大盛りにサービスしてくれた!いいね〜。梅田で撮影をすすめて宿に入ったらまず風呂。盛夏の大阪だからね。大浴場に壺風呂、そして屋上テラスつき。いい宿だね。晩御飯は宿近くの焼き鳥店へ。地鶏たたきが二種類あって曜日限定。今日は運よく両方あり!とっても美味しかったなぁ。いところだったなぁ。なんて店だっけ。
先日かかわらせていただいた動画のお仕事は短いカットを編集するものではなく1クリップ1分以上回しっぱなしで、現場に入ると機材の追加などできない2−3時間を充電機器でまわさなくてはならないもの。うちのBMPCCのLP-E6では刃が立たない。。
これまではAC電源を頼りに続けてきた動画の仕事だったけど、それをあてにできない場がやってきた。そこでついにVマウントバッテリーを視野に。正直カメラも入れ替えを迷った末、BMPCC4kで通すことに決断したので、LP-E6ではほぼ使い物にならない消費電力凄すぎるカメラにはACを除いた外部電源が必要と判断。
「99POWER」というMOMANをアマゾンで入手。USBーC65Wで充電可能で、D-TapとUSB-C、USBーAで給電できる。上位モデルはバッテリー残量が液晶で%表示のようだけど、こちらはボタンを押すとレベルインジケーターが点灯するので、機能的には十分だよね。
現場では、午前中からお昼にかけめいいっぱい作動したので、申し分なかった。新バッテリーに助けられました。
さて、これ、二つ購入したんだよね、グレーと黒を色違いで。そしたら一つは充電中に例のインジケーター点滅にて充電状況を知らせるのに、もう一方は無反応。どちらも充電は完了するのでまぁいいかと思っていたんだけど一応販売店へ問い合わせ。すると状況説明の動画を求められたものの、それを撮影しお見せしたらたら即日代替え品をご手配下さった。早い対応に驚くばかり。
午後良いうか夕方中国についた。往路の時のようにトランジットビザを無料で発給していただき、もう一度上海へ上陸。といっても明日朝早いので空港直結ホテル泊。便利でいいわ。晩御飯は同じビル内の四川麻辣の蛙鍋。もう、びっくり辛くて〜〜〜。ダメかと思ったけど、頑張って食べたヨネ!やばかった。思い出したけで頭から汗出るも。
ローマへ戻って、一世紀の橋へ。マーケットが行われているらしい。チンクエユーロということで一つ購入。旅の思い出に。
夕方、空港へ。最後に空港の食堂で食べたアンチョビの乗ったピザ美味かったなぁ。そしてイタリアビールともしばしお別れ。
昨日より増して土砂降りのラ・スペイッツァの街を歩く。ほんとは港で釣りをする予定だったが、川が濁流になるほどの雨な上に、なかなか港にたどり着けない有様。あぁ、せっかくロッドを持参したけど今回は諦めます。なので街歩きして、ちっと焼き物のお皿を購入し、早めのランチをして街を後にした。そうそう、このランチはcafeがやっているお店でパスタなどおよそ半値の7〜9ユーロ。この価格帯のお店はファーストフード感が強く、出来合いのものを温めて提供してくれる感じのようだ。やはり15ユーロほどの店とはものが違った。そしてここから普通列車を乗り継いで4時間、ボローニャまで移動する。
2度目のボローニャ。前回はラヴェンナからミラノへ移動の途中に立ち寄って斜塔は去年まだ登れた。今回までの間に異変が起きて斜塔は入場禁止となってしまった。倒れませんように。
朝7時すぎ、駅に併設された観光案内所はクローズしていて人気はない。
ホテルカッサダーネの朝ご飯は通りを挟んで階段を降りたところにあるカフェ『フェラーラ』。家族でれの先客が人組。好みのパンとカフェを選ぶと加えてフレッシュオレンジジュースがセットで出てきた。ラテン系のノリの店は、姉さんと男子の会話も弾んで楽しそうで、接客も同じテンションでしてくれているから朝の気分が心地いい。食事の量は正直物足りないけど、おそらく十分ではある。
あらためて8時20分くらに行くと店から溢れるほど人が。恐るべし世界遺産の入り口だと認識し、最後尾に並んで自分の番まで待った。欲しいチケットの種類を伝える。心配していたのはここラ・スペイッツァで購入するチケットがチンクエテッレとの往復も含まれているのかという点。これについて確認すると、含まれているというお返事!
身支度整えて、ジェノバ方面の列車へ乗り込んで数駅、エリア一番北の駅****で降りた。しかし雨。抜群な景色を眺めながらトレッキングするのが目的なのに。。雨。まぁこれも運命。
遊歩道が見つけられない。。
坂を登ったり降ったりしてやっとそれらしい道を見つけて、またその先も段階で。。すでに結構歩いてる。雨の中の遊歩道をゆく。数時間くらい進むと現れる村の可愛らしいこと。そこで、海の幸とパスタ! ボ、ボーノ!! まだ行程は先があるからワインはお預けに。
7時間20分、9.9km歩いて、ヘトヘト。。道中雨も時折ひどくて。カメラのファインダーが浸水してたけど、見ないふりしてたりして。。。
それにしても、街も雰囲気も、人の感じも、食事もワインも美味しくって、いいとこだったなぁ〜。いつかまた来れるだろうか。そんな時はこの村に宿泊するとより良さそうだ。宿は何軒か見かけたし。
壮大な建築。
ローマへ足を踏み入れたのはイタリア4度目にして初。この街の有名スポットは人人人。
芸術学部生の同期Kさん一押しの教会へ出向いたところここはまるで違う空気感が漂い、通りから階段を降りると入り口に立つあやしい男が一人。彼に軽く会釈しファサードをくぐって建物中に入ると中にはたった二人の見学人のみ。外気とは打って変わって空気がひんやりしている。
絶好の環境。
薄暗い中にアプシスの絵が目に入ってきました。
キリストと金色のテッセラが散りばめれた十字架を中心に、上部には翼のあるライオンと翼のある雄牛がいます。マルコとルカでしょうか。そのさらに壁側にヨハネとマタイもいます。
さっきまでいた唯一の観覧者もすでに帰ってしまっていて、じっくり見たり写真撮ったりしているとさっきの男が声をかけてきました。
右側廊の突き当たったあたりに1ユーロを入れるとモザイクを照らすライトが付くことを教えてくれたんです。写真を撮るなら明かりをつけた方が良いという。
それで再度撮影しなおして、、、
その後、彼の好意で、鍵が開けられ左袖廊の天井画とモザイクも拝見。
そしてモザイクの近くと裏の礼拝堂を案内するからと、教会の入り口を施錠してしまった。閉じ込められた状況。。しかも誰も入ってくることのできない危険な香り。。ここはもうイタリア南部。。。
また別の鍵を開けて階段を登ると、パイプオルガンの部屋。そしてアプシスをすぐ横から見られるところだった。
後陣のモザイク (西暦 387 ~ 417 年)がすぐ目の前に!
彼が言うのは「顔の色や手の色をよく見てください。くすんでいるところは4世紀。明るい色の石は19世紀に修復されたのです」
ほんとだ〜。
そして、また違う鍵を開けさらに奥へ階段を登る。
裏にある礼拝堂のフレスコはそれなりに傷んではいますが、貴重なもののよう。
結局その男は、マリオ・アントヌッチさんといって、教会主というか、番人というか。
研究書籍「プデンツィアナの複雑な機能的変化を、西暦 313 年から325 年の期間まで遡及するという仮説」という本を書いた著者だった。それは購入した本に帰りがけサインをお願いしたことでわかったのでした。
現存するローマ最古のモザイク画を堪能。それは387 ~ 417 年のモザイク。
詳細は避けつつも、1588年に大規模改修ありその時にモザイクの破損箇所がフレスコに置き換えられ、
1831年にそのフレスコの埋めていた破損箇所のフレスコ部分は再びモザイクへ置き換えられたという。
ローマのフィウミッチーノ空港から鉄道で市内へ。テルミニに降り立つあたりは厳戒態勢(私の個人的な厳戒態勢)。ここからホテルまで襲われないでたどり着けるのかってこと。まぁ路上生活の人が駅前にすでにたくさんいて、その先の薄暗い通りにはもっといて。襲われることはなかったけど、気を抜いてはいけない感じなのはわかる。
今回trip.comでエアーも宿も初予約。そしたらね、予約時に宿泊者名を記載することに気づかずスルッと予約完了してたら、つれの名のみで予約されちゃってて。二人の条件で検索してたから大丈夫だとは思いたいけど、そこからホテルに連絡しようとしてもこのサイトからは電話のみ。イタリア語は無理なのでメールにしたいのに。。苦労して、サイトの窓口からリクエストって方法をとったホテルと、ホテルのサイトから直接メッセージという方法をとって二人で行くよって伝えたら、okわかってるよって返事が来たりしていた。焦るわ。
宿は駅から数分という好立地。
翌朝の屋上からの眺めはこんなです。
distagon 25mm |
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Duplex120 |
浦東国際空港に荷物を預けて上海市内に一泊宿をとってみた。
多分人生最初で最後だろうと思われる時速330キロくらのリニアに乗って、アリペイQR(日本にいたうちに登録に四苦八苦した。。)かざして地下鉄にスッと乗り換え、南京路駅から地上へ。ここは歩行者専用の買い物街なんだね。すぐに右に折れ公安と食堂の前を通り過ぎるとホテルの入り口はすぐだった。
手早く手荷物置いて街へ出て、上海の象徴的景色を目指す。
歩行者天国は人人人。人だかりに目が止まって誘い込まれると、フードコートみたいな色々食べ物屋の入った空間。焼いたの、煮たの、蒸したの、色々あるねぇ。で、あっ、さっきから聞こえていた中国歌謡、生歌だよっ、かわいいピンクのワンピース来たきれえな姉さんっ、頑張ってるなぁ。なので、姉さんの前に席を確保して、串焼きのタコと牛肉脂腸麺というものを食す。うめぇ。だしも、具材もうまいです。すごいなぁ、中国。みんな客も楽しんでるし。これらもアリペイで簡単支払いができるし。でも、ビールがぬるい。。
全てに活気がある。
朝、あてもなく歩いてみた。人は少ない。機械屋さんとか並んだ職人街らしきところの食堂で朝ごはんを。ここでも飲茶と麺。ここもうまいし、おねんさんの対応も優しくって助かったなぁ。
上海上陸には普通VISAが必要。そんななか空港によるみたいだけど浦東はトランジットでの時間制限の入国にvisaが免除される仕組みがあっんだよね!それがとってもよかった。
そして次の飛行路はロシアの上空をを飛んでヨーロッパへ向かうのでなんとも微妙な気持ちにさせられる。私の小さな寄付はウクライナへ向けたものだったから。。
4/1から必修授業の受講開始できるので視聴ものからはじめてはいたが、専門領域のゼミは初日である。シラバスのとおり準備を進めていたのに、いざはじまると自己紹介が加わり、持ち時間も減って、発表順番まで資料再構成などでバタバタしてしまった。ほかの方々は澱みなく自身の輝かしい経歴と研究内容を述べていて、これまでやってきたことを自己肯定へ繋げてここでより高めようという方たちが目立った。自分は自信のなさの克服と作品基盤づくりなので、底辺の底上げに関わる研究を目指す。大学院のゼミはm1m2合同なのでやりにくさ二倍だけど、ここから最短2年間の研究を共に進める。
自分にできること、いや、じぶんが進めるべき研究課題の明確化。次の発表までにまとまりのあるものにしたい。
腎臓を一つ摘出してから四年半が経過し、半年ごとの経過観察日なので早起きして市立病院へ。左腕から採血、尿検査、そして1時間後に造影剤を使うCT撮影。この造影剤用のぶっとい針と、薬剤が体にまわる感じはどうも慣れない。
m先生、「問題なしっ」と。ありがとうございます、ほっとしました。
しかもCrの値が、腎臓二つある人の基準内へ今回初めて収まった。右だけで頑張ってくれている証。大切に、大切に。
卒業式がどんなものかなどという記憶はほとんど消えている。なぜならそれはおそらく35年前が最後だから。周りが皆同士とへ言葉を交わし騒々しいがやがて開式が促されると静かになった。校長の言葉や、来賓の祝辞を受け、和太鼓の演奏が始まった。ずんずんと全身に響いてくる演奏を聞いているうちに、なぜだろう涙がじわり。
ちょっとクールに構えていた自分だったけど、実際には入学から卒業へ向けて学んだ事は多くあり、レポートを書いては試験を受け、スクーリングを受けてはレポートを書き、果たして自分にはできるんだろうかと疑問を持ちながら始めた卒業論文は完成までに1年半かかっている。常に追い詰められていてあまり実感をしていなかったけど、じわりと涙が出るほどやはり自分なりに頑張ってきたのかもしれない。それがじわり涙となってあらわれた。
分科会では、卒業証書が一人ひとりに江本先生から渡され、その後それぞれが一言のべる場面があって、最短の2年でやりきった方、たいへん長い時間を要した方、在学中の生活の激変に悩まされた方、若い頃のトラウマを乗り越えた方、多くの生徒がそれぞれたいへんな思いで一つ乗り越え卒業を迎えたことを聞くことができ、また励みにもなった。みなさん卒業おめでとうございます。
そして自分へ、ひとまずおつかれさま。
道北での撮影が無事終わって16時、帰路に着いた。そう、今日は朝から6灯必要な大掛かりな撮影だったことに加えて、学びの場の結果発表日でもあった。資料の締め切りがブレゲンツへ旅立つ前だったので、そこまでにまとめてサーバアップと一部郵送のものを発送しておいた。
「あなたが研究したいことを明確に」
この問いに現状最も興味のある「空中像」についいての研究であることをプランした。もしかして入学してから別テーマや写真論への変更もありうるけど、現状思い入れも強くてうまくプレゼンテーションできそうなテーマに絞って挑んだおいた。
撮影でバタバタしているなか、11:32にメールが受信されていた。表題が『入学選考結果について』。いや〜ドキドキ、本文見ないと内容がわからない仕掛け。
「芸術研究科入学専攻において、合格しましたので、通知します」
おぉ、合格。これを始めるとまた最低2年は悩み続けることになる。思いきってはじめるか、辞退するか。早急に判断しなくては。
待ちに待った判定日。朝から待つものの学校マイページにある成績欄の卒業判定は「 - 」のまま。ん〜発表は昼くらいか。。。 午後1時、ついに「 可 」という表示へ変わった。これで通信制とはいえ大学での三年の学びが一区切りとなった。あぁ頑張ったなぁ。
この年齢で卒業式に出席することがあるとは数年前にはまるで考えていなかったし、なかなか無い機会だから出席のために旅の予定を固めた。最初の2年はそれぞれの学び全てに追われ、最後の一年は論じることの責任や丁寧な説明に苦しんだ。でも、こうして終わってしまうものなんだなぁ。
三年間にいろいろなことを学んだんだけど、いろいろ忘れてしまっていて論理立てて語れることは特にないと思う。ただ、歴史の流れへの関心や、表現されていることへの興味の幅は広がった。そして表現について深く深く研究している人達がいることを知った。
自分のエデュケーション欄、 ”芸術学部卒業” という一行が増える。
九時、予約しておいたユーロシティEC198が定刻ホームへ滑り込んできた。こちらの列車はブレゲンツとズゥリヒ空港を結ぶエアポート連絡列車のようだったけどすでに乗客はおり、大陸のどこからきたのだろう。ECはその名の通り国境超えの大陸横断特急なので、主要駅のみに停車するタイプ。しかしとにかく外観が洗車後のようにピカピカで、イタリアのフレッチャロッサやイタロに美しさでとっても差をつけている。列車は我々をのせるとすぐにライン川を越えスイスへはいった。数日前に滞在したザンクト・ガレン、そしてズゥーリヒ国際空港まで1時間15分ほど。そいえば、ザンクト・ガレンからユニークなおじさまが同じ客車のおとなりの席へ乗り込んできた。ふた席を埋めるクジャクのような帽子と、おなじ素材感の衣装を纏っている。全身みどり。謝肉祭への参加だとメモを見せてくれた。
スイスの空港ビルはスーパーが2軒はいっていて最後の買い物にちょうどよいのだけど、スーツケースは行きのときから余裕はすくなく、泣く泣くあまり買い込めずにパッキング完了。でも、アヒルとかニワトリの置物的立体チョコレートはペットボトルを加工して大事にしまいこんでいたりしている。ターミナルで最後のスイスビールもうまかった。でも、どうもこのあたりから結構体調不調でね、喉がいたいし疲れもひどい。あぁ。これから6時間のフライトでドーハへ、そこで7時間程のトランジット、こんどは羽田行き11時間ほどのフライトのあとに8時間のトランジット。。。
下の車窓の風景は、ライン川の右岸オーストリアと、左岸スイス。河畔や護岸の違いが興味深い。
待合室では一緒になったゴールデンレトリバー君に気に入られ、なぜなぜしてたらべろべろしてかんげいしてくれてとまらなくなっちゃった。。洗礼をうけ山頂へ。同乗した家族のおとうさんは、あっちに山羊や鹿がいるし、反対側の建物はカフェだよって親切におしえてくれた。やまの上はすこし小雪がぱらついていて、それで積もるようなけはいはない。ここには黒白のネコがまっていた。じっと見つめてみると、走り寄ってきて、スウリスリ。つぎは猫の洗礼。。あまりかまってもらうとアレルギー反応がでそうなのでこのへんで。ありがとう。ちなみにこのロープウェイで登ってくると1000mを超えている標高なんだよなぁ。街も湖も、振り向くとスイス方面の山も谷も、そしてライン川を見渡せる。
色々提案できるような準備も必要そうで、ブラッシュアップが必要なのか、このままでなくてはならないのか。石橋さんからは、常に売れるよう形にしておきすぐに提案できるといい、という意見も頂戴したし。課題も多く残した私の会場滞在最終日であった。
夜はギャラリストにお誘いを受けディナーをご一緒させていただいた。わたしは子牛のスモークにツナソースがけのアペリティフと軽めに。横の人はシュニッチェルというオーストリアの郷土料理を一昨日に続いてリピート、そしてお店せ自慢の大盛りデザートでシメ。今夜でお別れである。長いようであっという間に過ぎる時間。私らはあす九時の列車に乗る。マルティンさん、こんかいの経験をさせてくれてありがとうございました。かるく抱擁し、お互い暗い夜道をそれぞれの方向へあるき別れた。次のための準備が必要なんだとかみしめる。
ミスター石橋が誘ってくれたおかげで、ステージブレゲンツ参加アーティスト向け朝のミュージアムツアーに参加させていただいた。まずは、郵便局庁舎上階で行われていた個展のアーティストトーク。日本語解説まで。おかげさまで目の前の作品について理解を深めることができました。続いてブレゲンツ現代美術館を学芸員のお姉さんが一階から三階まですべて解説してくださった。手厚い。しかも特別に無料。
昨日一日中しとしと降っていた雨は上がったけど、今日もまた寒い。
昼過ぎから会場入りして、もうすぐブレゲンツからウィーンへ向かってしまう石橋氏との別れが迫る。昨日の午後からたくさんたくさん感謝なのであります。
さぁここからは通訳無し。ろくに話せないけれど、深めに作品へ興味をしめし質問してくれるお客様へ頑張って作品について補足したり、持参したドイツ語訳入りの巻物を使ったり。基本的にはギャラリストが進めるんだけど、忙しくしているときとかにね。お邪魔になっていなければいいのだけど、本当のところはどうだろう。
朝からほとんど立ちっぱなしで、ふうらふら。通しで夜の閉館までブースに立った。作品の補足ができるのって、やはりいい。まずは東の端の北の方から来たんですって。あまりにも遠いだろーって、みんな驚いてくれて反応もあざやかでステキ。もちろん写真についての質問もあって、シャープなマークの周りにあるうっすらしたシャドウについての質問が多かったと思う。あとは学歴。今年京都の大学を卒業するって言うと、京都にとても反応を示していた。京都は世界に出た時にアドバンテージが上がるキーワードといえる。いやぁ、本日もご成約につながり、ブレゲンツの方々に重ねて感謝なのであります。20時間くらいかけてやって来た甲斐がありますです。
ライン川を渡ると、そこはオーストリア。国境を越えたらしい。実感地は家の違い、人の雰囲気、街の整い方。他にも何かあると思うけど、雨のブレゲンツは人の出も少なく、寒くて、寂しい感じというのが最初の印象。そう、スイスから乗ってきた列車をプレゼンツの駅で降り、割と、目の前のホテルが予約したホテルでチェックイン済まして会場入りする前に、ちょっと街を歩いてみることにした。街の中心部と思われる商店街を歩き小高い丘に登り少し待ちを見下ろした。湖まで出て、もう一度街を歩き、ほぼ唯一と思われるspurで昼食や夕食になりそうなパンやワインを買い込んでおいた。
ステージプレゼンツは駅向こうのコンスタンツ湖畔にあった。夏に湖畔で行うオペラステージ併設の建物がそれだった。
すいている。いや、どんな感じなんだ。建物の前に人はまばら。ギャラリストが手配してくれたチケットを手に、会場へ入ろうとすると、「IBASHOだねっ!」と、声をかけてくれた女性、笑顔で、ブースはここ。マップにマークしてくれた。無事潜入完了し、会場を進むもやはりそんなに混んでいない。しかし奥の奥、最深部付近のIBASHOブースだけ人だかり。なんじゃこれは。そんな中マルティンが日本人を紹介してくれた。北フランス在住のミスター石橋。初めてお会いするというのに、お客さまの動きを見ることや、リピーターに可能せがあること、むやみに話しかけない、状況によってどうするべきか、控えめな対応、また持参物についてもお客様が興味を持つかもしれないことを前提に商品となり得ることを念頭に準備を怠らないで、とのことなど事細かにアーティストとしてあることのイロハをご享受いただいた。とても親切な方なのだ。勉強になる。一つ一つ実践あるのみです。
会場入りして間も無くご成約を目の当たりにした。嬉しすぎてお客様と一緒に写真を撮らせてもらってしまった。作品がこの地に残ること、そしてブレゲンツの方々、また作品をここに組み込んで遠路運んで下さったIBASHOさんに感謝なのです。自分自身もこんなに遠くまで来てみて現場を体験できるのは本当によかった!ミスター石橋も一緒に喜んでくれて、本当にいい人なんだよなぁ。苦労しているからこその姿なのか。仏のようだ。例えが悪かったらスミマセン。
夕食をお誘いいただいた。オーストリアは揚げたお肉にジャムをつけていただくんだわ。一皿に小瓶一本ついてくる。程よい甘みと酸味をカツレツに乗せていただく。うん、うまいです!
考えてみると、アジアの民は三人しかなかったから、会場の担当は、あのギャラリーの作家だろうと予測できていたのだろうと。街でもアジア人は見かけないのでそういうめずらしい感じなのかも。
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明け方のズゥリヒッ。急坂に囲まれた街の重要なインフラはケーブルカーだった。少しの区間に二本の別路線があって、両方に乗ってみた。暗い中一本目の駅を見つけて、乗りたい気も持ちはまんまんだけど乗り方も切符の買い方もわからないし、周りに誰もいないので聞くこともできない。。結局リージョンの小さな時間制のチケットを購入。赤い客車へ乗り込むと、やがて扉は締まり動き出した。数分で終点らしい駅に到着したので降りると「コケコッコー」と時報が。鶏の声の時報はいいね〜なんて言って駅を出ると、また聞こえた。暗がりに怪しい影。鶏が暗闇に佇んで朝を知らせていたんだ。おもしろいなぁ。二本目は青い列車が高級住宅街へ案内してくれた。どこの国も高いところは高級な住宅地なのね。11時ごろの列車へ乗り込んでズゥリヒッを後に。
ザンクト・ガレンへ。ここは世界遺産のある小さな山間の街らしい。繊維産業が盛んだとか。まずは荷物を預かってもらおうとホテルへ行くとチェックインさせてくれて、部屋も上の階がいいか下の階が好みかを聞いてくれる。12階をお願いすると、昨日のホテルの何倍も広くて天井の高い豪華な空間。いい部屋だけど支払いは済んでいるから安心なの。荷物を置いて街へ出た。8世紀に建てられた修道院と付属図書館が世界遺産になっていて、目指すはそこ。ロココ調の広間の壁いっぱいの蔵書と天井画とそれを囲む装飾の迫力が素晴らしい。
ここにも谷から上を目指せるケーブルカーがあってやはり登ってみた。ほんの数分で上方の終着駅へ。その駅上部を巻くように丘の上へ登る道を辿ると谷にそう街並みと斜面に点在する家々が樹々の間に美しくパノラマに広がってる。買ったのは1時間の乗り物券なのでいそいで下りの客車へ乗り込みふたたび下界へ。乗り場横は激流の滝、そして駅前のドカンを覗き見る少年たちを真似てのぞき込むと、中はトルネード構造になっていて、地中深く水がかなりの速度で吸い込まれていた。
早めに新千歳へ行くと昨年同様JALが遅れてた。聞くと一本早い便も大幅に遅れていて、空席ありから振り替えOKというので助かった。以降の行程は時間通り。正確な運行時間で動いているもんだよなって感心しちゃう。
CTS - 1h40m - HND
HND - 12h55m - DOH
DOH - 6h30m - ZRH
目的地はオーストリア・ブレゲンツなんだけどウィーンとブレゲンツは地理的に国の東端と西端、電車で8-9時間くらいかかりそう。なので、今回ドイツのミュンヘンかチューリッヒを検討し、陸路移動の少ないチューリッヒ入りとした。
さて、初めてのズゥリヒッ。あっ、こっちの人はズーリヒィとかズゥリヒって言ってるね。ズリヒ空港へは昼下がりに到着。静かで、空いてて、小さめな感じのする国際空港。でもターミナル間を無人列車で移動するのでやはり規模は大きいのかも。この列車はまあるい胴体でまあるいトンネルを進んでゆくので、なんか虫っぽい印象。イミグレーションは周りのEU加盟国と違って対面の質問ありなので、滞在先や旅程などすらすら答える必要あり。税関は怪しくない限り持ち物検査などないみたいで、さっさっと通り過ぎたら、そこはスイス。空港ターミナルにぶら下がった時計はオメガだったけど、鉄道エリアへやってくると、あぁ、これこれ、モンディーン。モンディーンがいっぱいある。しかもぜんぶストップ2ゴー。
スイス、初めて。駅も、街も綺麗。人もガサガサしてない。鉄道時計のデザインも美。
時刻表をみるとIC5という列車がちょうど良さそうなので、SBBの券売機でチケットを購入して番線に降り、滑り込んできたIC5へ乗り込む。あっという間にズゥリヒッ中央駅。人気が少ない駅を背に南方向へ、行き交う路面電車に情緒を感じながら二つの川を渡り、オールドタウンにある宿へ歩く。そういえば一本め目の川は濁っていたけど、二本目の川は川幅広く水量も多のに透明な水で綺麗な川だった。ホテルオールドタウンは一階のステーキハウスが目印。午後3時過ぎのステーキハウス前でモゾモゾしてる我々に店の姉さんが、チェックインでしょ、こっちよこっち、と。ヤサスイ。店の中には食事のお客さんがひとりステーキを楽しんでいる。なので、肉を焼いた素晴らしい香りがたち込めた店内。いい匂いですねと思わず言ってしまった。。
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ギャラリーで買い求めた絵からのオマージュ、習作として。 |
案内された部屋は2フロア上階で、レストランで体験した食べ物の匂いなどは全くなく、清潔感あるこじんまりした部屋。窓からは小さな石畳の広場が見下ろせる。さっと荷物を置き、お湯が出るかや排水を確認して街歩きへ出てみた。宿自体が旧市街内なので、外はすぐにレトロな街の空間となっていて、石畳の路地と坂が常に交差し、川を挟んだ両側が山に向かって街が迫り上がっている。そんな山に囲まれた谷にあって大きな湖から川が流れ出す辺りに広がる街。さっきの大きくてキレイな水のたたえた川は湖水を出てきたもので、ズリヒッのまちの最深部を貫くモニュメント的な川だった。
宿からそう遠くないギャラリーの店先で、ズゥリヒッを描いたエッチングに目に留まる。色のついたその絵は横長のパノラマ風構図で、川を挟んだ両側に建つ教会の塔が一段と高くある。湖を背に旧市街を眺めている。自分への土産に買い求め、この絵の場所を目指してみることにした。
路面電車が多い。
水鳥に餌をあげる人々。
橋のライトと窓の灯りが水面に写る、美しい。