一昨年前からのこと。昨年十月以降からのこと。本年いっぴからのことを思い、経を写し重ねることこの月、二十六。
年末の大和長谷寺総本山での朝行に参加した折のこと、一通りお経を読み終わったところで一同立ち上がり、谷へ迫り出す舞台へずらり並んだ。太鼓の音と共にそこから見渡せる各方角を向き、先にある山や人、全てのものへ祈りを捧げる。それを毎日行っているというのだから真に頭が下がる。若者僧もベテラン僧も一同に。自分は、そのようなおなじことはできないけれど、何かできることはないだろうかと考えさせられた。
大和4寺の一つ、室生寺参詣
大和國長谷寺総本山、朝の祈りから一日のはじまり。経典四十五頁あたりのところで正座が厳しくなってしまいまして。。大変でした。でも、これを毎朝お勤めしているとのことで、素晴らしいです。そして、ご本尊との縁結びというものにも参加し、御御足にふれて参りました。ありがたい。祈りの中で詠まれた、「九條錫杖」の印象がとても清々しくて、今度書いてみたい。
そこから5時間40分、東海自然遊歩道を歩く。山を降ってまほろば湖を過ぎ、やっと初瀬の集落まで来た。ここでよき天満宮へ登ってほんとにふらふら。下山してもう一踏ん張り長谷寺境内を歩いた。全行程9時間。15km。宿の風呂と精進料理、そして鰻とビールに癒される。感謝。
太陽の塔。初めて観に行った時は内部公開については確か限定的であり、不可能であったと思う。今回WEBサイト上に予約画面があったので申し込んでおいた。決められた期日の時間前に来るようにとなっている。さらに注意事項を必ず読んで、それに従うことを約束した上で。とのこと。
内部は一階のみ撮影可。ところが上階は専用のスマホケースをレンタルすることで撮影可能であった。
内部は生命についてのことが知らされ、上階へ向かいほどに時代が今へ向かう仕組み。完成時は上まで登って腕から外に出て空中展示へ進んだという。
岡本太郎作品に近づく願いがやっと叶った。最初にあるスケッチの展示にもシビレマス。
一昨日技術者が来所されプリンターの修理が行われた。結果として元通りは無理だった。問題を抱えたまま、動かなくなるまで使うことになる。そこでもう一台購入の検討を始めるが、どうも決め手にかける。しかし新しいダミーを作りたくなっているのは事実なので、どうにかせねば。今回の修理費用は3.6万程。新品は8〜10万からなので、修理しなければよかったのかもしれない。。
アントワープから作品プリントの追加発送を促すメッセージをいただいた。そこで、すでに完成しているプリントを梱包する前に、手元に少し追加でプリントしておこうと考えた。先のプリンター修理では解決しない点を、大きな紙を使うことでカバーしながら進める。パックから出した紙の小さな折れが、気になる。紙折れの問題で何度もやり直し。修行です。
数点、手元に残せる作品が仕上がったので、梱包材料など仕入れてベルギーへ国際発送完了。無事着きますように。
学びも大詰め、もう少し。
一泊予定で、日本の絵と仏像、日本の写真を観るためにきた。ピーチは欠航が怖いけど価格に惹かれシンプルピーチで予約。運賃が6千円くらいだから破格だわ。成田に着いたら電車の乗り場が近くて驚く。便利かも。けど成田から都心へはやっぱりそれなりに遠くて電車賃もそれなり。
東京都国立博物館で二つ、松濤美術館で一つ、観覧する。
大和絵展。論文研究の授業でグループワークの題材だった信貴山縁起絵巻が展示物に含まれている。グループワークで検討したのは、並木誠士氏の「縁起としての信貴山縁起絵巻」論。ホワイトボードを使った発表まであって、大変な緊張でした。。命蓮が倉を飛ばしたり。とても霊力というか神力のような話であったので会場では、ぜひ飛蔵巻が観たかったんだけど期間で入れ替えとのことで、今日は延喜加持巻だった。
翌日、 本歌取り 今回最大の目的はこれ杉本博司展なの。なんか聞いたことあるな本歌取り。和歌だったか。それで既に終了してしまっている西で行われた「本歌取り」をyoutubeで拝聴し理解を深めてから挑んだ。すでにある名歌の一部を使ってさらなる高みをと完成度を目指すもの。日本の古典の引用を写真を使った新しい解釈として観せてくれる作品群。
観覧後、トーハクへ再び行く。九体阿弥陀の修復がなされて展示されているのだ。阿弥陀如来に神々しくライトがあてられている姿は、こういう場所でしか見られない。以前、奈良歩きで京都の南端に位置する浄瑠璃寺と岩船寺を拝観しているが、あの実際の場所にある姿とは似ても似つかぬというのが正直なところ。仏像らはやはりそれがあるべき本来の場所に置かれるのが似つかわしいと感じる。
人は死んだらどうなるのだろう。
「神曲」なかの三つの章。先人が行けるのは煉獄か天国か、はたまた地獄か。現世の所業がその行先を決める鍵となる。とのことだ。イタリア行きが決まらねければダンテの詩を手にすることもなかった。でもダンテの手ほどきから、キリストの教え、イタリアの地、人、所業とその後を考えることができた。また、仏教にある地獄などにもとても共通しているのがわかる。ここに記されていること、ここから何か得なくてははならない。
帰国して感じていた違和感。数日後それは変化へ変わった。お隣からどったんバッタン騒がしく何やら響かせている。さらに今まで見かけなかった男どもが何やら作業をこなしている。まさか、引っ越し? それで荷物を整理して事務所を小さくするのか。。 色々考えていたけど家主に遭う機会もなく誰にも何も聞けなかった。やがて部屋から大量の物品や段ボールがものによっては整然と、ものによっては雑に廊下へ出され始め、それはいつしか夜もそのままになっていた。そして毎日連中がやってきて作業を続けていた。
数日経過した21日土曜の朝、早い時間に事務所へ出て管理人が来たのを見計らって尋ねた。「引っ越しですか?」というと、曇った表情になり『あれ、知らなかった?そう引っ越し。。」やや間をおき「亡くなったんだよね。月末か月初のこと。』詳しいことはわからない、という。えっ、亡くなった。。。。。いつも挨拶を交わしていた人だよ、入居依頼ずっと。もう会えないなんてことあるのか。こんなふうに死は突然やってくるものなのか。
26日、同じフロアの方に事情を聞くと、あそこのお姉さんたちも昨日が最後だったと教えてくれた。あの方たちとももうあうこともないのか。ちょうど私が事務所不在にしていた頃に事が起こったとはいえ、誰も何も聞かせてくれないのは自分の不徳のなすところなのだろう。せめて人に迷惑を残さぬようにと心がけたい。
朝、少し荷物を整理したくて駅近くで何度か前を通った売店へ。ディスカウントを申し出たがダメだったので、言い値の28ユーロで小さめの旅行かばんを購入。これに着替えなどを詰め、持参したバッグに長物の印刷物などを入れてみた。
今日でitariaとはお別れだから、最終日はミラノを歩いてみよう。正直、観光としてドゥオモに入るというのも考えたけどチケットは買わず街を歩く。古物屋をに立ち寄り、歴史博物館の前を通って、偶然見つけたモザイクの教会を見学、そしてドゥオモまでやってきた。この周辺、ミラノのセントラル駅を越える人の多さに唖然。やはり列に並ぶのはよそう。そこで、近隣の近代美術館へ向かうと人の列はない。チケットセンターでアドミッションを購入し、螺旋階段で上階へ登ると展示スが始まる。最初現代彫刻からはじまったが、近代絵画を多く見てフロアを移動したあたりで写真がやってきた!いい。現代美術はとても難しいけど、歴史的なものばかり目にしてきた今回の旅のなか、omnefestの作品群に続いて、やはり理解しなくてはと思わせるし、また理解するためにはどうすべきか考えさせせられる作品に触れるもの大切だと感じた。なぜかというと、現代に生きていて、古典を踏まえ、あるいは習作として古典を参照し、古典解釈を礎にして行われるの現代作品へのアプローチだから。現代作品に興味の奥行きを尋ねる長い旅なのかもしれない。
次はトラムで移動してデザインセンターへ。ここでは工業製品に取り込まれたイタリアンデザインが広見られる。知っている気になっていたものは僅かで知らぬものが大半だったけど、イタリアのデザインはクールだよなぁ。こういうのを踏まえてバウハウスデザインを検証するのも勉強になりそう。お土産にポスターを持ち帰ることができる。1人一枚という決まり。
遅い時間の飛行機にしてよかった。17時、トラムでホテルまで戻ってバッグをピックアップ。中央駅からバスに乗ってマルペンサへ。車中夕暮れは進み、空港に着く頃には外は闇に包まれたいた。第1ターミナルのカタールエコノミーカウンターへ並ぶと間も無く中国の小団体が。皆大きなスーツケースにブランドのロゴが印刷された紙袋を手にしながらおしゃべりに力が入っている。何を言っているのはかわからないけど、アジア人のの富の象徴の一つの姿。自分はまるで関係ないんだけど、なんとも言えない気分になる。私の収穫は、昨日渡された製本が仕上がったばかりの緑色の表紙の本だけだ。
出国。ヨーロッパを後にして南東へ飛んでいる。カタールでのトランジットは1時間。緊張は最後まで続くが、往路の空港でシュミレーションは出来ていたから問題なく乗り換えできた。羽田には23時台に到着。朝6時半のJALに乗るため、空港のベンチで横になって2−3時間眠った。26時間の旅を終えて新千歳からバスで札幌へ戻ったのは10時頃だったか。起きているとふらふらしてたけど、事務所でお見積りなどを進め早めに帰って休んだ。
ホテルグランドイタリア2階の朝食会場は数多くのドリンクやパン、ハム、チーズなど豊かな品々だった。ウエイターの男子も好青年でいいよね。いやぁ、イタリア滞在も慣れてきてしまったせいか、最後の気の緩みか、ゆるりと起きてゆるりと朝食をとり、散歩などしてなんかゆっくりしてしまったパドヴァの朝。そして行きの列車はそう沢山なかったことにその時に気づく。10時頃の地域列車で向かったのは30分ほど先のカステルフランコ・ベネト。この旅の最大の目的。ここも昨日歩いたデッラチッタのような城壁の街ではあるが一周できる壁は残っていないようだ。でも門などは保全されていて歴史を感じる街であるのは間違いない。写真祭はその旧市街とパルコヴィラボラスコで行われている。駅を背に高級な住宅に囲まれた一本道を公園ヴィラボラスコへ目指すこと10分、突き当たりの白壁面にOMNEFEST2023の垂れ幕を見つけた。この奥がパルコヴィラボラスコのようだけどここのガラスの扉から入場できないらしい。ガラスの向こうで大学生くらいの本の束を持った素敵な女性がバツの仕草で左へ行くようにと促してくれている。大きく左へ回り込んだ先に公園の入口が見えてきた。
公園の入り口に写真祭の受付があって青年が笑顔で対応してくれた。入場チケットを渡され、簡単に展示のことと注意を教えてくれた。水と、木々と、遊歩道、その先の古い建築物。これらがバランスよく配置されて庭園の調和が生まれていた。展示は木々の中の野外展示から始まっており、点在しながら設置され庭園と交わっている。Natureを全面に打ち出した写真祭のイントロだ。やがて道が建物へ向かい中へ導かれる。部屋ごとに違う作家の作品が展開する。そして広い中庭へ出ると、その向こうにまた別の建物が。これが旧王室厩舎だ。馬の頭蓋骨が外壁に飾られていた。入り口から見た中は大理石の柱が建物を支え、天井高く、広い空間を確保している。二列の長い展示台が入り口から奥まで伸び、その上に整然と今回キュレーションされた写真作品集が並んでいた。125冊。
ちょうどこの厩舎展示の担当だった現代芸術専攻の作家さんが展示について聞かせてくださり、更に私の写真を撮ってくれたり。ありがとう。感謝です。流石に全部とはいかないけど、できるだけ多くの作品に目を触れさせ、ページをめくり、紙や装丁をみせてもらった。1.5時間ほどだろうか。さて、他の展示へと外へ出て、日差しの中をゆく。大きな池のほとりにある旧植物園温室らしき建物内の展示を見終えたころ、雰囲気のある男性が気になった。向こうも気にしてくれている模様。話かけると、IndexNatureの本を手がけたブックデザイナーさんだという。気を遣って英語で話してくれる。しかし全体の数十%ほどしか理解できない切なさ。。 結局彼の目的を果たした後でよければ自分のアトリエまで来るべきだという。そこにIndexNatureを編集した本があるからと。城壁のような壁にある木製の大きなドアを開けると、歴史的な建物の中がデザインスタジオになっている。素敵なオフィスだ。ミネラルウォーターをグラスでいただく。日差しと高めの気温に空っからの喉が潤う。グラッツェ!
彼の作った本についてと、マッシモのキュレーションについて話をしてくれた。旧市街はすぐだから、駅に向かうのにはそこを歩いてからでも間に合うからと勧めてくれた。彼らと別れ城壁の門をくぐる、昨日の街路はまた違う雰囲気を少し味わって足速に鉄道の駅へ。今日のうちにミラノまで帰らなければならない。
飲み物を買ってパドヴァへ戻る列車を待っていると、客車の無い落書きだらけの列車がホームに入ってきた。怪しい。周りを見ていると、子供を連れたお母さんが移動をはじめる。少し慌て案内板を探すとパドヴァ行きは番線が変わって向こうのホームとなっていた。
無事に乗り込んで、パドヴァへ。そしてitaroに乗り換えずっと西のミラノへ向かった。車内は夕方の光に包まれている。列車が速度を上げ車窓の風景が流されてゆき、疲れもそれと一緒に流されてゆくかのように。心地いい良い。
パドヴァへ
早朝ミラノ中央駅を出発したフレッチャロッサ9705は少し遅れてパドヴァへ入った。ここではジョットのフレスコが見られる。ジョットはフィレンツェ出身。その地に現存する鐘楼はドゥオーモの横に凛々しく建っていたのを先日確認し、絵はウフッツィコレクションの最初を飾っていたテンペラの祭壇画は実見してきていたが、今回はフレスコの壁画だ。事前の予約で10分という短い鑑賞時間が与えられる。短い観覧時間なので夜と昼の2回予約しておいた。ここはラヴェンナのようにはゆかず、時間通りの入場で時間通りの鑑賞時間が厳守。12時の予約でついにスロヴェーニ礼拝堂へと思ったらまずは着席させられ解説のビデオを10分ほど。それからついに入場となる。昼時で晴天なので、後陣に向かって右、南からの太陽光が強く差し込む。よって右側壁面は逆光とフレアでとても見づらかった。まぁ自分の眼鏡のガラスの汚れが大きな問題だったのだけど、後悔しても遅し。10分という鑑賞時間で、絵も観て写真も撮るというのは、残念ながら、絵を観ずに終わってしまうことに近いと思う。しかし、予習されていないと、絵巻物のように流れるストーリーを読み解けない。慌てているうちにベルが鳴って10分は終了した。
午後から地域列車でチッタデッラへ。駅を背に進んで突き当たりを右へ曲がると城壁門が見えてきた。ここでは城壁へ登り街を一周できる貴重な場所。門をくぐって旧市街へ入り一軒目のビアバーでサンドイッチとワインを注文。通りはキレイで商店街のようなんだけどシャッターが降りたり、明かりが消えてクローズしている店ばかりで活気がない。1軒目に立ち寄っておいてよかった。城壁アドミッションは街の反対側の城壁2階あたり。ここでチケットを購入し一周回ってきた。場内の旧市街の赤い屋根の統一感、場外の街ごしに北の山脈が長く広がっている。爽快だ。
足早に駅へ向かい地域列車でパドヴァへ戻った。駅前すぐにあるアールヌーボー調の建物が今晩の宿。伊達男ホテルマンの対応でスムーズにチェックインし、ふたたびジョット夜の部へ。夜の部がおすすめかも。日差しがないので、左右両壁面、後陣、ファサード、天上のフレスコを平均的な光源のあかりの中で鑑賞できるのだ。
補足として、今回の旅で歩いて見てきたダンテゆかりのラヴェンナと故郷フィレンツェに加えて、この地パドヴァ大学で教鞭をとったという。ここは世界で二番目に古い大学だ。それから旅に出入る前に読んだフロイト。イタリア好きのこの人はオーストリアからやってきて、ヴェネツィアやパドヴァからイタリアの旅をはじめている拠点ということになる。歴史が重すぎます。
夕食はcoopのサラダと、キイチゴのスパークリングを303号室にて。
朝、やはり喉がいたい。昨夜より痛いかも。薬、うがい。でもね、マスクをして出かけた。愛想良い改札前の売店(これもタバッキか)のお兄いさんから切符を購入し最初にきた列車へ乗り込んだ。電車の中ではバイオリン弾きが演奏しながら車両を渡り歩いてゆく。
目指すはPhoto40というお店。webで見つけておいたイタリア製のカメラを見たかったから。通り花屋の向こうがPhoto40。開店間際なのにもうお客さんがいてね。ちょっと怯んだのは正直なところだけど思い切って入ってみた。
ボンジョルノ!店主は元気なお兄さんおじさんって感じ。中は小綺麗で所狭しと大型カメラなどが場所をとり、入って正面がカウンター、右壁は大きなショウケースになっていて小型から中型までずらりと並ぶ、左はショウウインドウを兼ねた大型系の陳列。カウンターへ向かって左の正面に当たるとことに縦長のショウケースがあって、下の方にちょこんと待っていたのがISO社のDupeLex120。
これこれ、まだあった。一台限りのヴィンテージだからね、売り切れていなかったのも縁かな。これブローニーフィルムを使うステレオカメラで、なかなか古いカメラなもんだから、まずは店主に動作を見せてもらう。絞り、シャッター、巻き上げ、全てメカニカルで概ね動作している。使い方も教わり、買うことを告げた。片手に収まる機械式2レンズステレオカメラ。イルフォードHP5の120サイズを入れようとしたところスプールホールが現代のサイズは細いらしく、穴を広げる工夫がその都度必要なようなことがわかった。フィルムを装填し会計を済ます。
そしてもう一台、WEBを見て気になっていたフィルムパノラマカメラ。回転レンズ式ロシア製HORIZONが、やはり一台在庫されている。こちらもレクチャーなどお願いし、購入を決めた。会計したら、ちょっと待ってというジャスチャの後ガサゴソやってストラップを取り出してきて装着しはじめた。押し売りだったら困るから、慌ててこれはプレゼントかと聞くと、そうだといってウィンク!だも。イタリアの男って感じでなんかニンマリするなぁ。グラッツェ!
体調は微妙だったがここからミラノの運河まではそう遠くないらしい。フィルム装填した機械式カメラを手に運河まで。その足で約束の錠がたくさんぶら下がる太かわいい橋を渡って運河沿いを中心部方面へ。カフェやカヌーなんかにレンズを向けながら、運河が広くなるあたりまで来た。水辺に降りてみたら白鳥に餌をやりながら過ごしている人、数名。そして目線を橋の下へ向けるとホームレスのお家あり。そのちょっと横、水の中から出ている木の杭に寄り添うように人の頭が。。人だ。。。じっと動かず、、あれを水浴というのか。彼の荷物は水辺の岸に置かれているので、先に見つけた家の主ではないようだ。色々の人がいるんだね、ミラノ。
さて、昼時だ、気分を変えよう。運河沿いの混んでいるお店に敢えて挑戦しランチメニューのカルボナーラとイタリアンビアーをオーダー。喉の痛みも和らいできていたからビールがうまい。パスタは艶、茹で加減、味、素晴らしい。やはり混んでいる店はおいしいようだ。とはいえ体調崩しているので今日は明るいうちにレジデンツァへ戻り、ベットで横になった。明日も早い。
4日目、8時半から開いているテオドリクス廟へ。一番乗りで入館。一階に設置物はない空間だったが、二階には石棺が鎮座。大理石を磨いた現代の湯船のような形状の黒い棺で横には虎の浮き彫りがある。ここの天上が一枚岩を加工したものという。その重厚さから、どのように持ち上げて設置したのか、検討もつかないらしい。霊廟なので静かに鑑賞させていただく。
ホテルへ戻る運河のベンチに鞄や本、エスプレッソのカップが目に留まった。行きに気づかなかったが誰かの忘れ物か。いやいや、これがテッセラで飾られた立体作品なの。ラヴェンナ最後のモザイク鑑賞は野外設置された現代モザイク芸術作品となった。
日帰りウフッツィ。ウフッツィがどこにあるのか、、フィレンツェなんだね。フィレンツェ。芸術の街。地図を見るとラヴェンナまで来ているんだからわりと近いし、ローマは無理だとしてもやはりフィレンツェへは足を伸ばしておこう。そんな感じで移動のための列車と有名美術館を予約しておいたけど、移動に片道に時間は、やっぱ遠い。
駅に降り立った途端、人人人。駅を出ても人人人。なんとなく皆の向かうのとは反対にあたるアルノ川を目指すと人はまばらになってきた。橋を渡り対岸をゆったり歩く。フィレンツェの街を対岸から眺めながら。
ポルゴ・サン・ジャコポの通りを抜けると有名なヴェッキオ橋はすぐだった。この橋、溢れんばかりのすごい人。危険だ。スリとかスリとか。人多すぎてなんか怖いかも。静かな街ラヴェンナが恋しいけど、この祭騒ぎも楽しい。ウフッツィには予約より早くついたので、並ぶ場所とか入場口とかロケハンして横の広場に出たりしてみる。とにかく人だらけ。祭りじゃないのに祭りは最高潮という感じ。
ウフッツィでは、1300年代のジョットからはじまった。立体感のある人物像表現、これがジョットなのかぁ。そこから一気にフィリッポ・リッピ、ピエロ・デッラ・フランチェスカの侯爵夫妻、ボッティチェリのヴィーナス誕生、ダヴィンチの受胎告知や、ヴェッロッキオとの共作キリスト洗礼、ミケランジェロにラッファエッロ、カラヴァッジョはメドゥーサよりバッカスだな。などと、1600年あたりまでの一連名作を実見で鑑賞。人の波に乗って、時に逆らって3.5時間で一回り鑑賞。まぁ、館内も混んでいてね、ヘトヘト。リトグラフを一枚購入してウフッツィを後に。
美術館からすぐのところに外壁と路面の隅に花が一列手向けられその壁には胸像がやや左を見るようにあった。『神曲』の作者はここが故郷。とはいってもフィレンツェを追放されたダンテはラヴェンナで生涯を終えているので、ここはのちにフィレンツェが設置なくてはならなくなったダンテの家としての施設のようだ。そうはいっても、手を合わせる。そして路地を進むと建物の隙間からドゥオモの重厚な壁面装飾が見えてきた。通りを抜けるとその大きさは更に増す。広場にはジョットの鐘楼が凛々しく天に向かって伸びていた。
メディチ家礼拝堂を左に、フィレンツェのマーケットを目指す。残念なことに一回の物販はクローズしてたけど二階は活気よく営業中。ここで遅いランチにする。イタリア惣菜が数種盛り付けられたプレートとビールにした。フードコートのような感じだけど、飲み物は席に注文を取りに来てくれるし、ウェイターの彼なんかもクールでよかった。
フィレンツェの駅に戻って、18:55発フレッチャロッサ9552でボローニャまでおよそ1時間。地域列車へ乗り換えてさらに1時間、ラヴェンナへ戻った。
9時サン・タポリナーレ・ヌォーボ。今日も1番乗りかと思いきや、すでに先客がおり、その後も観覧者は続いて入場する。とはいっても人の少ない朝なので空間はひんやりとしている。明るく広い空間は、身廊をコリント式の石柱がアプスに向かって12本連なる大きなバシリカ教会堂だ。12という数字はやはり12使徒か。柱に沿って上方を見上げると左壁面を22人の聖女像が、右面には男性像の殉教者が、どちらもアプスに向かってずらりと並ぶ。人物は花の咲くみどり色の草原の上に足を置き、白い衣を纏いその背景は金色の色石が背景として使われ、煌びやかで荘厳な行進だ。さて全体を見て、そこから二段上にあたる最上段には、キリストの受難と奇跡が24の図像で示されている。距離が遠いから少し見にくかったのは残念。それでも創建当時は床面が今よりずっと下だったという。これが6世紀のモザイクなのだ。
10時半Museo TAMO Mosaico - Complesso di San Nicolò。ここでは、移設された壁や床モザイク、原料の色石やガラス、テッセラ造りの道具など、ここで観ることができた。街を歩きサンタマリア・イン・ポルトを拝観しPorta Nuova門をくぐって午後はクラッセを目指すことに。地図で見るとほぼ直線の一本道。いい時間の列車がなかったのと、バスは乗り方がわからないから見送ったのだけど、距離は中心部から5.5kmを歩いた。
クラッセは小さな町で静かなところだった。サン・タポリナーレ・イン・クラッセは大きな教会らしく、ラヴェンナからの直線道路沿いの畑の向こうにずっしりとした姿と鐘塔が見えていた。ずいぶんと歩いたのに入口がわからず外を一周してやっと入館。やはり中も素晴らしい広さの教会で、後陣、祭壇の上のアプスの壮大さはこれまでで一番か、いや、昨日のサン・ビターレの方が大きかったかもしれないが。さてクラッセのアプス、そこにはキリストと12の羊が描かれる、12の羊は12使徒を起草させる神のつかいとしてのモチーフ。そして天空に浮かぶ彩雲から神の手が。下段には四福音書記者。歩き疲れて座席に少し座って眺めさせてもらった。ラヴェンナから少し離れているからだろう、観覧者も少なく静かだ。穏やかな空気と包まれるような空間、優しい日差しが差し込んでいる午後だった。
グーグルマップスの検索結果にある午後4時頃の列車をめざしクラッセ駅へ。しかしチケット券売機のリストにその列車が見当たらない。午後7時が最もはやい次の列車となっている。3時間も経ったら日が暮れる。まずいな。
教会近くにあったレストラン横のお店らしきところへ戻る。タバッキらしきお店だったのでそこでバスチケットを買えないか尋ねることに。すると、あるよ。と、あっさり。1.5ユーロのチケットを渡されたからこれでラヴェンナ市内に行けるか聞くと問題ないという。よかったぁ、助かりました。数分後、近くのバス停にバスが滑り込み、運転手さんにチケットの打刻を教えてもらい一安心して後部の座席へ。明るいうちふたたび市内へ戻ることができたのでもう一度地下水の教会を拝観。何度も通っているコンスタンティウス邸を横目に宿へ戻る。夕食はホテルローマ並びのナイフにした。到着の夜に迷ってやめたのだ。その時は混んでる店に入る勇気が出なかったということ。玄関入ると、まだだよという。夕方は5時半からとうので出直し、ようやく円形のテーブルについた。英語のメニューを案内してもらいオーダー。ここのシーフードサラダいい。パスタもいい。味もいいけどボリュームもすごい。なんかいい。またいつか食べに行けるかなぁ。
ホテルローマの朝。テーブルは布が敷かれ、清潔感あっていい。クロワッサンやヨーグルト、キュウイフルーツやカトラリーを運んで席につくと頼んでおいたアメリカーノを美人のお姉さんが持ってきてくれた。奥のカウンターあたりでカフェマシンを担当しているお兄さんも挨拶してくれる。二人とも笑顔が素敵な人で安心感も増す。朝食卓から見える外は晴れて窓から入る日差しが強くてまぶしい。地元通勤の車が慌ただしい様子を見ながらの朝食。
ホテルから歩いてそう遠くない距離だった。ネオニアーノ洗礼堂。予約時間よりずいぶん早く到着して少しためらったけど入口の警備の人に尋ねてみる。このチケットで時間になったら入れますよね、と。通じていないんだと思うけど、チケットバーコードを読み込んで、入れという仕草。えっ、いいんですか。。晴れた外から中へ入るとやや暗く中には誰もいない。しかしまもなく目は慣れ天上に広がる絵画がこちらを見下ろしていた。クーポラに描かれた絵画がモザイク。ヨルダンで洗礼を受けるイエス。濡れた体を拭うための緑の布と植物を持つ老人が左に、駱駝の毛皮を纏ったヨハネが十字架を携え右に立つ。壺から流れ出たヨルダン川の水に浸かったイエスの半身は透け、その全てが数々の光り輝く放つテッセラによって描かれている。テッセラとは色石や色ガラスのパーツで、一つは数ミリから数ミリから数センチと小さい。
6世紀にすでに完成していたというここはラヴェンナ最古の建造物である。小さな洗礼堂の内部で心地いい時間を過ごしていると、やがてお客が徐々に入りはじめまもなくいっぱいになった。早めに入れたことは感謝でしかない。
隣接のMuseo Arcivescovile di Ravennaとサン・アンドレア教会、
街歩きののち、バシリカ式の・サンタ・マリア・マッジョーレを拝観し、サンタクローチェの外観を眺め回し、かつてそれと繋がっていたというガッラプラチディアへ。確かに外観は地味なレンガづくりで、シンプルな四角い箱型で構成されている。なんか少しだけすいていそうなタイミングだったので予約時間には程遠いけどチケットを出してみる。ここもOK、どうぞ入ってという。促されて足を踏み入れると今日見てきた中で最も薄暗い。閉じきった瞳孔から詳細は何も見えてこない。しかし絵そのものは学びで知ったそれがここにあるのは明らかだ。すいているとはいえそこそこの来館者で、その熱気に圧倒されながら見上げてみる。大理石を通った色のついた微かな光源では、そのテッセラが放つ色彩の美しさは半減しているようだ。朝観たネオニアーノの色彩が美しすぎた。とはいえ、ここの図像はネオニアーノのそれとはまるで違うことに意味がある。四福音書を敬い、それ以前の本を炎へ放り込もうとしている人物、良き羊飼いとしてのキリスト、使徒の指し示すその先にラピスラズリのブルー一面に散りばめられた天空の星々、精霊の象徴としての鳩、あぁ、ここにあるこれが5世紀の絵画なのか。同一敷地内に、バシリカ・サン・ビターレと国立博物館があるが国立博物館は今回遠慮しサン・ビターレを堪能した。荘厳な建築と見事なモザイクに圧倒される。街角でパニーニャをおそい昼ごはんにして、その後はダンテの墓、地下水教会バシリカ・デ・サンフランチェスコ、斜塔ラヴェンナシビックタワーを観てまわった。そして迷い込むように路地へ入ると礼拝堂らしき地味な円形建造物発見。入口のお姉さんに聞くと、今日は無料で良いから、あなたたちはラッキーだという。アリアーニ礼拝堂、無料拝観!お〜、ヨルダンで洗礼を受けるキリスト、これは朝みたネオニアーのモチーフと同一だけど、色々違いはある。不思議だ。そして興味深い。
夕食はケバブサラダセット買って帰り赤ワインとモレッティもあわせ部屋飲み。時差ぼけと歩きっぱなしで疲れがなかなか。