2024/02/23

2/23 Bregenz day2

 ミスター石橋が誘ってくれたおかげで、ステージブレゲンツ参加アーティスト向け朝のミュージアムツアーに参加させていただいた。まずは、郵便局庁舎上階で行われていた個展のアーティストトーク。日本語解説まで。おかげさまで目の前の作品について理解を深めることができました。続いてブレゲンツ現代美術館を学芸員のお姉さんが一階から三階まですべて解説してくださった。手厚い。しかも特別に無料。

昨日一日中しとしと降っていた雨は上がったけど、今日もまた寒い。


昼過ぎから会場入りして、もうすぐブレゲンツからウィーンへ向かってしまう石橋氏との別れが迫る。昨日の午後からたくさんたくさん感謝なのであります。

さぁここからは通訳無し。ろくに話せないけれど、深めに作品へ興味をしめし質問してくれるお客様へ頑張って作品について補足したり、持参したドイツ語訳入りの巻物を使ったり。基本的にはギャラリストが進めるんだけど、忙しくしているときとかにね。お邪魔になっていなければいいのだけど、本当のところはどうだろう。

朝からほとんど立ちっぱなしで、ふうらふら。通しで夜の閉館までブースに立った。作品の補足ができるのって、やはりいい。まずは東の端の北の方から来たんですって。あまりにも遠いだろーって、みんな驚いてくれて反応もあざやかでステキ。もちろん写真についての質問もあって、シャープなマークの周りにあるうっすらしたシャドウについての質問が多かったと思う。あとは学歴。今年京都の大学を卒業するって言うと、京都にとても反応を示していた。京都は世界に出た時にアドバンテージが上がるキーワードといえる。いやぁ、本日もご成約につながり、ブレゲンツの方々に重ねて感謝なのであります。20時間くらいかけてやって来た甲斐がありますです。




2024/02/22

2/22 Bregenz

 ライン川を渡ると、そこはオーストリア。国境を越えたらしい。実感地は家の違い、人の雰囲気、街の整い方。他にも何かあると思うけど、雨のブレゲンツは人の出も少なく、寒くて、寂しい感じというのが最初の印象。そう、スイスから乗ってきた列車をプレゼンツの駅で降り、割と、目の前のホテルが予約したホテルでチェックイン済まして会場入りする前に、ちょっと街を歩いてみることにした。街の中心部と思われる商店街を歩き小高い丘に登り少し待ちを見下ろした。湖まで出て、もう一度街を歩き、ほぼ唯一と思われるspurで昼食や夕食になりそうなパンやワインを買い込んでおいた。

ステージプレゼンツは駅向こうのコンスタンツ湖畔にあった。夏に湖畔で行うオペラステージ併設の建物がそれだった。




すいている。いや、どんな感じなんだ。建物の前に人はまばら。ギャラリストが手配してくれたチケットを手に、会場へ入ろうとすると、「IBASHOだねっ!」と、声をかけてくれた女性、笑顔で、ブースはここ。マップにマークしてくれた。無事潜入完了し、会場を進むもやはりそんなに混んでいない。しかし奥の奥、最深部付近のIBASHOブースだけ人だかり。なんじゃこれは。そんな中マルティンが日本人を紹介してくれた。北フランス在住のミスター石橋。初めてお会いするというのに、お客さまの動きを見ることや、リピーターに可能せがあること、むやみに話しかけない、状況によってどうするべきか、控えめな対応、また持参物についてもお客様が興味を持つかもしれないことを前提に商品となり得ることを念頭に準備を怠らないで、とのことなど事細かにアーティストとしてあることのイロハをご享受いただいた。とても親切な方なのだ。勉強になる。一つ一つ実践あるのみです。

会場入りして間も無くご成約を目の当たりにした。嬉しすぎてお客様と一緒に写真を撮らせてもらってしまった。作品がこの地に残ること、そしてブレゲンツの方々、また作品をここに組み込んで遠路運んで下さったIBASHOさんに感謝なのです。自分自身もこんなに遠くまで来てみて現場を体験できるのは本当によかった!ミスター石橋も一緒に喜んでくれて、本当にいい人なんだよなぁ。苦労しているからこその姿なのか。仏のようだ。例えが悪かったらスミマセン。

夕食をお誘いいただいた。オーストリアは揚げたお肉にジャムをつけていただくんだわ。一皿に小瓶一本ついてくる。程よい甘みと酸味をカツレツに乗せていただく。うん、うまいです!

考えてみると、アジアの民は三人しかなかったから、会場の担当は、あのギャラリーの作家だろうと予測できていたのだろうと。街でもアジア人は見かけないのでそういうめずらしい感じなのかも。

2024/02/21

2/21 st.Garen



明け方のズゥリヒッ。急坂に囲まれた街の重要なインフラはケーブルカーだった。少しの区間に二本の別路線があって、両方に乗ってみた。暗い中一本目の駅を見つけて、乗りたい気も持ちはまんまんだけど乗り方も切符の買い方もわからないし、周りに誰もいないので聞くこともできない。。結局リージョンの小さな時間制のチケットを購入。赤い客車へ乗り込むと、やがて扉は締まり動き出した。数分で終点らしい駅に到着したので降りると「コケコッコー」と時報が。鶏の声の時報はいいね〜なんて言って駅を出ると、また聞こえた。暗がりに怪しい影。鶏が暗闇に佇んで朝を知らせていたんだ。おもしろいなぁ。二本目は青い列車が高級住宅街へ案内してくれた。どこの国も高いところは高級な住宅地なのね。11時ごろの列車へ乗り込んでズゥリヒッを後に。

ザンクト・ガレンへ。ここは世界遺産のある小さな山間の街らしい。繊維産業が盛んだとか。まずは荷物を預かってもらおうとホテルへ行くとチェックインさせてくれて、部屋も上の階がいいか下の階が好みかを聞いてくれる。12階をお願いすると、昨日のホテルの何倍も広くて天井の高い豪華な空間。いい部屋だけど支払いは済んでいるから安心なの。荷物を置いて街へ出た。8世紀に建てられた修道院と付属図書館が世界遺産になっていて、目指すはそこ。ロココ調の広間の壁いっぱいの蔵書と天井画とそれを囲む装飾の迫力が素晴らしい。

ここにも谷から上を目指せるケーブルカーがあってやはり登ってみた。ほんの数分で上方の終着駅へ。その駅上部を巻くように丘の上へ登る道を辿ると谷にそう街並みと斜面に点在する家々が樹々の間に美しくパノラマに広がってる。買ったのは1時間の乗り物券なのでいそいで下りの客車へ乗り込みふたたび下界へ。乗り場横は激流の滝、そして駅前のドカンを覗き見る少年たちを真似てのぞき込むと、中はトルネード構造になっていて、地中深く水がかなりの速度で吸い込まれていた。

2024/02/20

2/20 Zurich


早めに新千歳へ行くと昨年同様JALが遅れてた。聞くと一本早い便も大幅に遅れていて、空席ありから振り替えOKというので助かった。以降の行程は時間通り。正確な運行時間で動いているもんだよなって感心しちゃう。

CTS - 1h40m - HND

HND - 12h55m - DOH

DOH - 6h30m -  ZRH

目的地はオーストリア・ブレゲンツなんだけどウィーンとブレゲンツは地理的に国の東端と西端、電車で8-9時間くらいかかりそう。なので、今回ドイツのミュンヘンかチューリッヒを検討し、陸路移動の少ないチューリッヒ入りとした。

さて、初めてのズゥリヒッ。あっ、こっちの人はズーリヒィとかズゥリヒって言ってるね。ズリヒ空港へは昼下がりに到着。静かで、空いてて、小さめな感じのする国際空港。でもターミナル間を無人列車で移動するのでやはり規模は大きいのかも。この列車はまあるい胴体でまあるいトンネルを進んでゆくので、なんか虫っぽい印象。イミグレーションは周りのEU加盟国と違って対面の質問ありなので、滞在先や旅程などすらすら答える必要あり。税関は怪しくない限り持ち物検査などないみたいで、さっさっと通り過ぎたら、そこはスイス。空港ターミナルにぶら下がった時計はオメガだったけど、鉄道エリアへやってくると、あぁ、これこれ、モンディーン。モンディーンがいっぱいある。しかもぜんぶストップ2ゴー。

スイス、初めて。駅も、街も綺麗。人もガサガサしてない。鉄道時計のデザインも美。

時刻表をみるとIC5という列車がちょうど良さそうなので、SBBの券売機でチケットを購入して番線に降り、滑り込んできたIC5へ乗り込む。あっという間にズゥリヒッ中央駅。人気が少ない駅を背に南方向へ、行き交う路面電車に情緒を感じながら二つの川を渡り、オールドタウンにある宿へ歩く。そういえば一本め目の川は濁っていたけど、二本目の川は川幅広く水量も多のに透明な水で綺麗な川だった。ホテルオールドタウンは一階のステーキハウスが目印。午後3時過ぎのステーキハウス前でモゾモゾしてる我々に店の姉さんが、チェックインでしょ、こっちよこっち、と。ヤサスイ。店の中には食事のお客さんがひとりステーキを楽しんでいる。なので、肉を焼いた素晴らしい香りがたち込めた店内。いい匂いですねと思わず言ってしまった。。

ギャラリーで買い求めた絵からのオマージュ、習作として。


案内された部屋は2フロア上階で、レストランで体験した食べ物の匂いなどは全くなく、清潔感あるこじんまりした部屋。窓からは小さな石畳の広場が見下ろせる。さっと荷物を置き、お湯が出るかや排水を確認して街歩きへ出てみた。宿自体が旧市街内なので、外はすぐにレトロな街の空間となっていて、石畳の路地と坂が常に交差し、川を挟んだ両側が山に向かって街が迫り上がっている。そんな山に囲まれた谷にあって大きな湖から川が流れ出す辺りに広がる街。さっきの大きくてキレイな水のたたえた川は湖水を出てきたもので、ズリヒッのまちの最深部を貫くモニュメント的な川だった。

宿からそう遠くないギャラリーの店先で、ズゥリヒッを描いたエッチングに目に留まる。色のついたその絵は横長のパノラマ風構図で、川を挟んだ両側に建つ教会の塔が一段と高くある。湖を背に旧市街を眺めている。自分への土産に買い求め、この絵の場所を目指してみることにした。

路面電車が多い。

水鳥に餌をあげる人々。

橋のライトと窓の灯りが水面に写る、美しい。







2024/01/31

1/31 写経

一昨年前からのこと。昨年十月以降からのこと。本年いっぴからのことを思い、経を写し重ねることこの月、二十六。


年末の大和長谷寺総本山での朝行に参加した折のこと、一通りお経を読み終わったところで一同立ち上がり、谷へ迫り出す舞台へずらり並んだ。太鼓の音と共にそこから見渡せる各方角を向き、先にある山や人、全てのものへ祈りを捧げる。それを毎日行っているというのだから真に頭が下がる。若者僧もベテラン僧も一同に。自分は、そのようなおなじことはできないけれど、何かできることはないだろうかと考えさせられた。

2024/01/01

1/1 

 



夕方へ向かう石狩の浜をニ時間ほど歩いていた。この少し後に起こることをまったく想像もせずに。。

2023/12/30

12/30 おつかれさま




27日にご依頼いただいたデータバックアップや事務所の片づけ、正月飾りを整えて本年の業務終了。


2023/12/25

12/25 大阪歴史博物館 鶴橋

 


初瀬を後にして、大阪へ。歴史博物館で学んで、最後は鶴橋でホルモン。今朝まで精進料理が主でしたので、最後だけコッテリとさせていただいた。10年以上ぶりの空に並んで入店。うめぇ、です。

2023/12/24

12/24 室生寺

今朝、初瀬駅へ向かう階段でバランスを崩し転倒。昨日の疲れが、形になって現れた。無理は禁物と弱音が出る。。なので近鉄大野室生口からバスで龍穴神社まで行って上の方だけ歩くことにした。とは言っても高度差200mの上り下りと、室生時境内の階段で高低差100mほどを昇り降り。全体で山中を6km、初瀬の行き来で3-4kmなのでおそらく10kmほど歩いた。奈良バスには、朝の行きと夕方の帰りの大野寺までをお世話になった。磨崖仏を拝み、歩いて駅前にも乗ると運転手さんと目が合う。どちらからともなく会話が。お疲れ様でした。お世話になりました。今日一日室生を満喫できました、です。

大和4寺の一つ、室生寺参詣





2023/12/23

12/23 朝の回廊から

 大和國長谷寺総本山、朝の祈りから一日のはじまり。経典四十五頁あたりのところで正座が厳しくなってしまいまして。。大変でした。でも、これを毎朝お勤めしているとのことで、素晴らしいです。そして、ご本尊との縁結びというものにも参加し、御御足にふれて参りました。ありがたい。祈りの中で詠まれた、「九條錫杖」の印象がとても清々しくて、今度書いてみたい。


宿に戻って朝ごはんをしっかりいただき、2キロ降って近鉄初瀬駅へ。一駅移動し昼ごはんを購入して鳥見山へ向かう。まぁ、昨日から寒いのなんのって。1時間20分ほど歩いて奈良鳥見山の山頂まで来た。ここは雪も残っていたし氷ついている。きびしいね。


そこから5時間40分、東海自然遊歩道を歩く。山を降ってまほろば湖を過ぎ、やっと初瀬の集落まで来た。ここでよき天満宮へ登ってほんとにふらふら。下山してもう一踏ん張り長谷寺境内を歩いた。全行程9時間。15km。宿の風呂と精進料理、そして鰻とビールに癒される。感謝。

2023/12/22

12/22 生物の進化

 太陽の塔。初めて観に行った時は内部公開については確か限定的であり、不可能であったと思う。今回WEBサイト上に予約画面があったので申し込んでおいた。決められた期日の時間前に来るようにとなっている。さらに注意事項を必ず読んで、それに従うことを約束した上で。とのこと。

内部は一階のみ撮影可。ところが上階は専用のスマホケースをレンタルすることで撮影可能であった。

内部は生命についてのことが知らされ、上階へ向かいほどに時代が今へ向かう仕組み。完成時は上まで登って腕から外に出て空中展示へ進んだという。

岡本太郎作品に近づく願いがやっと叶った。最初にあるスケッチの展示にもシビレマス。


遠回りして万博記念公園まで来たけど、ここから一度大阪中心部へ向かって乗り換え、初瀬へ。駅前にお店などなく、暗く寂しい夜道を二キロほど歩いた。予約しておいた大和屋さんの店の明かりが見えてきてホッとする。今回の奈良旅でお世話になるお宿は門前町の最上部付近にあった。



2023/12/18

12/18 パンク

 土曜、朝からパンクのまま走ってしまった。。ミス。。。TGで応急処置していただいて小金湯へ。なんとか凌げていて助かりました。


それで、別の量販店さんへ出かけて金額を見積もっていただいたところ、スタッドレスは定価が高く、一本だけ買うと60000円とのこと。安いホイールとセットにすると10万でおさまらない。。とほほ。


2023/12/08

12/8 修理〜手元用予備制作〜国際発送

一昨日技術者が来所されプリンターの修理が行われた。結果として元通りは無理だった。問題を抱えたまま、動かなくなるまで使うことになる。そこでもう一台購入の検討を始めるが、どうも決め手にかける。しかし新しいダミーを作りたくなっているのは事実なので、どうにかせねば。今回の修理費用は3.6万程。新品は8〜10万からなので、修理しなければよかったのかもしれない。。

アントワープから作品プリントの追加発送を促すメッセージをいただいた。そこで、すでに完成しているプリントを梱包する前に、手元に少し追加でプリントしておこうと考えた。先のプリンター修理では解決しない点を、大きな紙を使うことでカバーしながら進める。パックから出した紙の小さな折れが、気になる。紙折れの問題で何度もやり直し。修行です。

数点、手元に残せる作品が仕上がったので、梱包材料など仕入れてベルギーへ国際発送完了。無事着きますように。




2023/12/04

12/4 最終提出物

卒業研究の正本は11/28に簡易書留で発送。そして残りの最終提出物として卒業研究の要約がある。これを週末に何度か書き直したものを、校正し提出。

長かった三年。



2023/11/08

11/7〜8 大和絵 本歌取り 京都・南山城の仏像

学びも大詰め、もう少し。

一泊予定で、日本の絵と仏像、日本の写真を観るためにきた。ピーチは欠航が怖いけど価格に惹かれシンプルピーチで予約。運賃が6千円くらいだから破格だわ。成田に着いたら電車の乗り場が近くて驚く。便利かも。けど成田から都心へはやっぱりそれなりに遠くて電車賃もそれなり。

東京都国立博物館で二つ、松濤美術館で一つ、観覧する。

大和絵展。論文研究の授業でグループワークの題材だった信貴山縁起絵巻が展示物に含まれている。グループワークで検討したのは、並木誠士氏の「縁起としての信貴山縁起絵巻」論。ホワイトボードを使った発表まであって、大変な緊張でした。。命蓮が倉を飛ばしたり。とても霊力というか神力のような話であったので会場では、ぜひ飛蔵巻が観たかったんだけど期間で入れ替えとのことで、今日は延喜加持巻だった。

翌日、 本歌取り 今回最大の目的はこれ杉本博司展なの。なんか聞いたことあるな本歌取り。和歌だったか。それで既に終了してしまっている西で行われた「本歌取り」をyoutubeで拝聴し理解を深めてから挑んだ。すでにある名歌の一部を使ってさらなる高みをと完成度を目指すもの。日本の古典の引用を写真を使った新しい解釈として観せてくれる作品群。

観覧後、トーハクへ再び行く。九体阿弥陀の修復がなされて展示されているのだ。阿弥陀如来に神々しくライトがあてられている姿は、こういう場所でしか見られない。以前、奈良歩きで京都の南端に位置する浄瑠璃寺と岩船寺を拝観しているが、あの実際の場所にある姿とは似ても似つかぬというのが正直なところ。仏像らはやはりそれがあるべき本来の場所に置かれるのが似つかわしいと感じる。


2023/10/26

10/26 先ゆく

人は死んだらどうなるのだろう。

「神曲」なかの三つの章。先人が行けるのは煉獄か天国か、はたまた地獄か。現世の所業がその行先を決める鍵となる。とのことだ。イタリア行きが決まらねければダンテの詩を手にすることもなかった。でもダンテの手ほどきから、キリストの教え、イタリアの地、人、所業とその後を考えることができた。また、仏教にある地獄などにもとても共通しているのがわかる。ここに記されていること、ここから何か得なくてははならない。

帰国して感じていた違和感。数日後それは変化へ変わった。お隣からどったんバッタン騒がしく何やら響かせている。さらに今まで見かけなかった男どもが何やら作業をこなしている。まさか、引っ越し? それで荷物を整理して事務所を小さくするのか。。 色々考えていたけど家主に遭う機会もなく誰にも何も聞けなかった。やがて部屋から大量の物品や段ボールがものによっては整然と、ものによっては雑に廊下へ出され始め、それはいつしか夜もそのままになっていた。そして毎日連中がやってきて作業を続けていた。

数日経過した21日土曜の朝、早い時間に事務所へ出て管理人が来たのを見計らって尋ねた。「引っ越しですか?」というと、曇った表情になり『あれ、知らなかった?そう引っ越し。。」やや間をおき「亡くなったんだよね。月末か月初のこと。』詳しいことはわからない、という。えっ、亡くなった。。。。。いつも挨拶を交わしていた人だよ、入居依頼ずっと。もう会えないなんてことあるのか。こんなふうに死は突然やってくるものなのか。

26日、同じフロアの方に事情を聞くと、あそこのお姉さんたちも昨日が最後だったと教えてくれた。あの方たちとももうあうこともないのか。ちょうど私が事務所不在にしていた頃に事が起こったとはいえ、誰も何も聞かせてくれないのは自分の不徳のなすところなのだろう。せめて人に迷惑を残さぬようにと心がけたい。


お悔やみ申し上げます。合掌。
ダンテの「神曲」に戻って思うと、あの方が向かった先は天国だといいんだが。きっとベアトリーチェやウェルギリウスは知っているに違いない。もしかしたら煉獄から天国へゆく準備の最中ということも考えられる。

合掌。


2023/10/08

10/8−9 北イタリア_09〜10 ミラノ現代美術

 朝、少し荷物を整理したくて駅近くで何度か前を通った売店へ。ディスカウントを申し出たがダメだったので、言い値の28ユーロで小さめの旅行かばんを購入。これに着替えなどを詰め、持参したバッグに長物の印刷物などを入れてみた。

今日でitariaとはお別れだから、最終日はミラノを歩いてみよう。正直、観光としてドゥオモに入るというのも考えたけどチケットは買わず街を歩く。古物屋をに立ち寄り、歴史博物館の前を通って、偶然見つけたモザイクの教会を見学、そしてドゥオモまでやってきた。この周辺、ミラノのセントラル駅を越える人の多さに唖然。やはり列に並ぶのはよそう。そこで、近隣の近代美術館へ向かうと人の列はない。チケットセンターでアドミッションを購入し、螺旋階段で上階へ登ると展示スが始まる。最初現代彫刻からはじまったが、近代絵画を多く見てフロアを移動したあたりで写真がやってきた!いい。現代美術はとても難しいけど、歴史的なものばかり目にしてきた今回の旅のなか、omnefestの作品群に続いて、やはり理解しなくてはと思わせるし、また理解するためにはどうすべきか考えさせせられる作品に触れるもの大切だと感じた。なぜかというと、現代に生きていて、古典を踏まえ、あるいは習作として古典を参照し、古典解釈を礎にして行われるの現代作品へのアプローチだから。現代作品に興味の奥行きを尋ねる長い旅なのかもしれない。

 次はトラムで移動してデザインセンターへ。ここでは工業製品に取り込まれたイタリアンデザインが広見られる。知っている気になっていたものは僅かで知らぬものが大半だったけど、イタリアのデザインはクールだよなぁ。こういうのを踏まえてバウハウスデザインを検証するのも勉強になりそう。お土産にポスターを持ち帰ることができる。1人一枚という決まり。

 遅い時間の飛行機にしてよかった。17時、トラムでホテルまで戻ってバッグをピックアップ。中央駅からバスに乗ってマルペンサへ。車中夕暮れは進み、空港に着く頃には外は闇に包まれたいた。第1ターミナルのカタールエコノミーカウンターへ並ぶと間も無く中国の小団体が。皆大きなスーツケースにブランドのロゴが印刷された紙袋を手にしながらおしゃべりに力が入っている。何を言っているのはかわからないけど、アジア人のの富の象徴の一つの姿。自分はまるで関係ないんだけど、なんとも言えない気分になる。私の収穫は、昨日渡された製本が仕上がったばかりの緑色の表紙の本だけだ。

 出国。ヨーロッパを後にして南東へ飛んでいる。カタールでのトランジットは1時間。緊張は最後まで続くが、往路の空港でシュミレーションは出来ていたから問題なく乗り換えできた。羽田には23時台に到着。朝6時半のJALに乗るため、空港のベンチで横になって2−3時間眠った。26時間の旅を終えて新千歳からバスで札幌へ戻ったのは10時頃だったか。起きているとふらふらしてたけど、事務所でお見積りなどを進め早めに帰って休んだ。




2023/10/07

10/7 北イタリア_08 カステルフランコ・ヴェネト OMENEFEST2023

 ホテルグランドイタリア2階の朝食会場は数多くのドリンクやパン、ハム、チーズなど豊かな品々だった。ウエイターの男子も好青年でいいよね。いやぁ、イタリア滞在も慣れてきてしまったせいか、最後の気の緩みか、ゆるりと起きてゆるりと朝食をとり、散歩などしてなんかゆっくりしてしまったパドヴァの朝。そして行きの列車はそう沢山なかったことにその時に気づく。10時頃の地域列車で向かったのは30分ほど先のカステルフランコ・ベネト。この旅の最大の目的。ここも昨日歩いたデッラチッタのような城壁の街ではあるが一周できる壁は残っていないようだ。でも門などは保全されていて歴史を感じる街であるのは間違いない。写真祭はその旧市街とパルコヴィラボラスコで行われている。駅を背に高級な住宅に囲まれた一本道を公園ヴィラボラスコへ目指すこと10分、突き当たりの白壁面にOMNEFEST2023の垂れ幕を見つけた。この奥がパルコヴィラボラスコのようだけどここのガラスの扉から入場できないらしい。ガラスの向こうで大学生くらいの本の束を持った素敵な女性がバツの仕草で左へ行くようにと促してくれている。大きく左へ回り込んだ先に公園の入口が見えてきた。

 公園の入り口に写真祭の受付があって青年が笑顔で対応してくれた。入場チケットを渡され、簡単に展示のことと注意を教えてくれた。水と、木々と、遊歩道、その先の古い建築物。これらがバランスよく配置されて庭園の調和が生まれていた。展示は木々の中の野外展示から始まっており、点在しながら設置され庭園と交わっている。Natureを全面に打ち出した写真祭のイントロだ。やがて道が建物へ向かい中へ導かれる。部屋ごとに違う作家の作品が展開する。そして広い中庭へ出ると、その向こうにまた別の建物が。これが旧王室厩舎だ。馬の頭蓋骨が外壁に飾られていた。入り口から見た中は大理石の柱が建物を支え、天井高く、広い空間を確保している。二列の長い展示台が入り口から奥まで伸び、その上に整然と今回キュレーションされた写真作品集が並んでいた。125冊。

 ちょうどこの厩舎展示の担当だった現代芸術専攻の作家さんが展示について聞かせてくださり、更に私の写真を撮ってくれたり。ありがとう。感謝です。流石に全部とはいかないけど、できるだけ多くの作品に目を触れさせ、ページをめくり、紙や装丁をみせてもらった。1.5時間ほどだろうか。さて、他の展示へと外へ出て、日差しの中をゆく。大きな池のほとりにある旧植物園温室らしき建物内の展示を見終えたころ、雰囲気のある男性が気になった。向こうも気にしてくれている模様。話かけると、IndexNatureの本を手がけたブックデザイナーさんだという。気を遣って英語で話してくれる。しかし全体の数十%ほどしか理解できない切なさ。。 結局彼の目的を果たした後でよければ自分のアトリエまで来るべきだという。そこにIndexNatureを編集した本があるからと。

 城壁のような壁にある木製の大きなドアを開けると、歴史的な建物の中がデザインスタジオになっている。素敵なオフィスだ。ミネラルウォーターをグラスでいただく。日差しと高めの気温に空っからの喉が潤う。グラッツェ!

 彼の作った本についてと、マッシモのキュレーションについて話をしてくれた。旧市街はすぐだから、駅に向かうのにはそこを歩いてからでも間に合うからと勧めてくれた。彼らと別れ城壁の門をくぐる、昨日の街路はまた違う雰囲気を少し味わって足速に鉄道の駅へ。今日のうちにミラノまで帰らなければならない。




 飲み物を買ってパドヴァへ戻る列車を待っていると、客車の無い落書きだらけの列車がホームに入ってきた。怪しい。周りを見ていると、子供を連れたお母さんが移動をはじめる。少し慌て案内板を探すとパドヴァ行きは番線が変わって向こうのホームとなっていた。

無事に乗り込んで、パドヴァへ。そしてitaroに乗り換えずっと西のミラノへ向かった。車内は夕方の光に包まれている。列車が速度を上げ車窓の風景が流されてゆき、疲れもそれと一緒に流されてゆくかのように。心地いい良い


 





2023/10/06

10/6 北イタリア_07 パドヴァ(ジョット)---チッタデラ(城壁)

パドヴァへ

 早朝ミラノ中央駅を出発したフレッチャロッサ9705は少し遅れてパドヴァへ入った。ここではジョットのフレスコが見られる。ジョットはフィレンツェ出身。その地に現存する鐘楼はドゥオーモの横に凛々しく建っていたのを先日確認し、絵はウフッツィコレクションの最初を飾っていたテンペラの祭壇画は実見してきていたが、今回はフレスコの壁画だ。事前の予約で10分という短い鑑賞時間が与えられる。短い観覧時間なので夜と昼の2回予約しておいた。ここはラヴェンナのようにはゆかず、時間通りの入場で時間通りの鑑賞時間が厳守。12時の予約でついにスロヴェーニ礼拝堂へと思ったらまずは着席させられ解説のビデオを10分ほど。それからついに入場となる。昼時で晴天なので、後陣に向かって右、南からの太陽光が強く差し込む。よって右側壁面は逆光とフレアでとても見づらかった。まぁ自分の眼鏡のガラスの汚れが大きな問題だったのだけど、後悔しても遅し。10分という鑑賞時間で、絵も観て写真も撮るというのは、残念ながら、絵を観ずに終わってしまうことに近いと思う。しかし、予習されていないと、絵巻物のように流れるストーリーを読み解けない。慌てているうちにベルが鳴って10分は終了した。

 午後から地域列車でチッタデッラへ。駅を背に進んで突き当たりを右へ曲がると城壁門が見えてきた。ここでは城壁へ登り街を一周できる貴重な場所。門をくぐって旧市街へ入り一軒目のビアバーでサンドイッチとワインを注文。通りはキレイで商店街のようなんだけどシャッターが降りたり、明かりが消えてクローズしている店ばかりで活気がない。1軒目に立ち寄っておいてよかった。城壁アドミッションは街の反対側の城壁2階あたり。ここでチケットを購入し一周回ってきた。場内の旧市街の赤い屋根の統一感、場外の街ごしに北の山脈が長く広がっている。爽快だ。


 足早に駅へ向かい地域列車でパドヴァへ戻った。駅前すぐにあるアールヌーボー調の建物が今晩の宿。伊達男ホテルマンの対応でスムーズにチェックインし、ふたたびジョット夜の部へ。夜の部がおすすめかも。日差しがないので、左右両壁面、後陣、ファサード、天上のフレスコを平均的な光源のあかりの中で鑑賞できるのだ。





 補足として、今回の旅で歩いて見てきたダンテゆかりのラヴェンナと故郷フィレンツェに加えて、この地パドヴァ大学で教鞭をとったという。ここは世界で二番目に古い大学だ。それから旅に出入る前に読んだフロイト。イタリア好きのこの人はオーストリアからやってきて、ヴェネツィアやパドヴァからイタリアの旅をはじめている拠点ということになる。歴史が重すぎます。 

 夕食はcoopのサラダと、キイチゴのスパークリングを303号室にて。

2023/10/05

10/5 北イタリア_06 ナヴィリオグランデ運河

 朝、やはり喉がいたい。昨夜より痛いかも。薬、うがい。でもね、マスクをして出かけた。愛想良い改札前の売店(これもタバッキか)のお兄いさんから切符を購入し最初にきた列車へ乗り込んだ。電車の中ではバイオリン弾きが演奏しながら車両を渡り歩いてゆく。

目指すはPhoto40というお店。webで見つけておいたイタリア製のカメラを見たかったから。通り花屋の向こうがPhoto40。開店間際なのにもうお客さんがいてね。ちょっと怯んだのは正直なところだけど思い切って入ってみた。

ボンジョルノ!店主は元気なお兄さんおじさんって感じ。中は小綺麗で所狭しと大型カメラなどが場所をとり、入って正面がカウンター、右壁は大きなショウケースになっていて小型から中型までずらりと並ぶ、左はショウウインドウを兼ねた大型系の陳列。カウンターへ向かって左の正面に当たるとことに縦長のショウケースがあって、下の方にちょこんと待っていたのがISO社DupeLex120

これこれ、まだあった。一台限りのヴィンテージだからね、売り切れていなかったのも縁かな。これブローニーフィルムを使うステレオカメラで、なかなか古いカメラなもんだから、まずは店主に動作を見せてもらう。絞り、シャッター、巻き上げ、全てメカニカルで概ね動作している。使い方も教わり、買うことを告げた。片手に収まる機械式2レンズステレオカメラ。イルフォードHP5120サイズを入れようとしたところスプールホールが現代のサイズは細いらしく、穴を広げる工夫がその都度必要なようなことがわかった。フィルムを装填し会計を済ます。

そしてもう一台、WEBを見て気になっていたフィルムパノラマカメラ。回転レンズ式ロシア製HORIZONが、やはり一台在庫されている。こちらもレクチャーなどお願いし、購入を決めた。会計したら、ちょっと待ってというジャスチャの後ガサゴソやってストラップを取り出してきて装着しはじめた。押し売りだったら困るから、慌ててこれはプレゼントかと聞くと、そうだといってウィンク!だも。イタリアの男って感じでなんかニンマリするなぁ。グラッツェ! 



体調は微妙だったがここからミラノの運河まではそう遠くないらしい。フィルム装填した機械式カメラを手に運河まで。その足で約束の錠がたくさんぶら下がる太かわいい橋を渡って運河沿いを中心部方面へ。カフェやカヌーなんかにレンズを向けながら、運河が広くなるあたりまで来た。水辺に降りてみたら白鳥に餌をやりながら過ごしている人、数名。そして目線を橋の下へ向けるとホームレスのお家あり。そのちょっと横、水の中から出ている木の杭に寄り添うように人の頭が。。人だ。。。じっと動かず、、あれを水浴というのか。彼の荷物は水辺の岸に置かれているので、先に見つけた家の主ではないようだ。色々の人がいるんだね、ミラノ。

 さて、昼時だ、気分を変えよう。運河沿いの混んでいるお店に敢えて挑戦しランチメニューのカルボナーラとイタリアンビアーをオーダー。喉の痛みも和らいできていたからビールがうまい。パスタは艶、茹で加減、味、素晴らしい。やはり混んでいる店はおいしいようだ。とはいえ体調崩しているので今日は明るいうちにレジデンツァへ戻り、ベットで横になった。明日も早い。