ボローニャ
丘の上の教会 再び
ボルタンスキー
街歩き
手打ちパスタ と ティラミス 再び
西日の小さな小さな運河
昨日より増して土砂降りのラ・スペイッツァの街を歩く。ほんとは港で釣りをする予定だったが、川が濁流になるほどの雨な上に、なかなか港にたどり着けない有様。あぁ、せっかくロッドを持参したけど今回は諦めます。なので街歩きして、ちっと焼き物のお皿を購入し、早めのランチをして街を後にした。そうそう、このランチはcafeがやっているお店でパスタなどおよそ半値の7〜9ユーロ。この価格帯のお店はファーストフード感が強く、出来合いのものを温めて提供してくれる感じのようだ。やはり15ユーロほどの店とはものが違った。そしてここから普通列車を乗り継いで4時間、ボローニャまで移動する。
2度目のボローニャ。前回はラヴェンナからミラノへ移動の途中に立ち寄って斜塔は去年まだ登れた。今回までの間に異変が起きて斜塔は入場禁止となってしまった。倒れませんように。
朝7時すぎ、駅に併設された観光案内所はクローズしていて人気はない。
ホテルカッサダーネの朝ご飯は通りを挟んで階段を降りたところにあるカフェ『フェラーラ』。家族でれの先客が人組。好みのパンとカフェを選ぶと加えてフレッシュオレンジジュースがセットで出てきた。ラテン系のノリの店は、姉さんと男子の会話も弾んで楽しそうで、接客も同じテンションでしてくれているから朝の気分が心地いい。食事の量は正直物足りないけど、おそらく十分ではある。
あらためて8時20分くらに行くと店から溢れるほど人が。恐るべし世界遺産の入り口だと認識し、最後尾に並んで自分の番まで待った。欲しいチケットの種類を伝える。心配していたのはここラ・スペイッツァで購入するチケットがチンクエテッレとの往復も含まれているのかという点。これについて確認すると、含まれているというお返事!
身支度整えて、ジェノバ方面の列車へ乗り込んで数駅、エリア一番北の駅****で降りた。しかし雨。抜群な景色を眺めながらトレッキングするのが目的なのに。。雨。まぁこれも運命。
遊歩道が見つけられない。。
坂を登ったり降ったりしてやっとそれらしい道を見つけて、またその先も段階で。。すでに結構歩いてる。雨の中の遊歩道をゆく。数時間くらい進むと現れる村の可愛らしいこと。そこで、海の幸とパスタ! ボ、ボーノ!! まだ行程は先があるからワインはお預けに。
7時間20分、9.9km歩いて、ヘトヘト。。道中雨も時折ひどくて。カメラのファインダーが浸水してたけど、見ないふりしてたりして。。。
それにしても、街も雰囲気も、人の感じも、食事もワインも美味しくって、いいとこだったなぁ〜。いつかまた来れるだろうか。そんな時はこの村に宿泊するとより良さそうだ。宿は何軒か見かけたし。
壮大な建築。
ローマへ足を踏み入れたのはイタリア4度目にして初。この街の有名スポットは人人人。
芸術学部生の同期Kさん一押しの教会へ出向いたところここはまるで違う空気感が漂い、通りから階段を降りると入り口に立つあやしい男が一人。彼に軽く会釈しファサードをくぐって建物中に入ると中にはたった二人の見学人のみ。外気とは打って変わって空気がひんやりしている。
絶好の環境。
薄暗い中にアプシスの絵が目に入ってきました。
キリストと金色のテッセラが散りばめれた十字架を中心に、上部には翼のあるライオンと翼のある雄牛がいます。マルコとルカでしょうか。そのさらに壁側にヨハネとマタイもいます。
さっきまでいた唯一の観覧者もすでに帰ってしまっていて、じっくり見たり写真撮ったりしているとさっきの男が声をかけてきました。
右側廊の突き当たったあたりに1ユーロを入れるとモザイクを照らすライトが付くことを教えてくれたんです。写真を撮るなら明かりをつけた方が良いという。
それで再度撮影しなおして、、、
その後、彼の好意で、鍵が開けられ左袖廊の天井画とモザイクも拝見。
そしてモザイクの近くと裏の礼拝堂を案内するからと、教会の入り口を施錠してしまった。閉じ込められた状況。。しかも誰も入ってくることのできない危険な香り。。ここはもうイタリア南部。。。
また別の鍵を開けて階段を登ると、パイプオルガンの部屋。そしてアプシスをすぐ横から見られるところだった。
後陣のモザイク (西暦 387 ~ 417 年)がすぐ目の前に!
彼が言うのは「顔の色や手の色をよく見てください。くすんでいるところは4世紀。明るい色の石は19世紀に修復されたのです」
ほんとだ〜。
そして、また違う鍵を開けさらに奥へ階段を登る。
裏にある礼拝堂のフレスコはそれなりに傷んではいますが、貴重なもののよう。
結局その男は、マリオ・アントヌッチさんといって、教会主というか、番人というか。
研究書籍「プデンツィアナの複雑な機能的変化を、西暦 313 年から325 年の期間まで遡及するという仮説」という本を書いた著者だった。それは購入した本に帰りがけサインをお願いしたことでわかったのでした。
現存するローマ最古のモザイク画を堪能。それは387 ~ 417 年のモザイク。
詳細は避けつつも、1588年に大規模改修ありその時にモザイクの破損箇所がフレスコに置き換えられ、
1831年にそのフレスコの埋めていた破損箇所のフレスコ部分は再びモザイクへ置き換えられたという。
ローマのフィウミッチーノ空港から鉄道で市内へ。テルミニに降り立つあたりは厳戒態勢(私の個人的な厳戒態勢)。ここからホテルまで襲われないでたどり着けるのかってこと。まぁ路上生活の人が駅前にすでにたくさんいて、その先の薄暗い通りにはもっといて。襲われることはなかったけど、気を抜いてはいけない感じなのはわかる。
今回trip.comでエアーも宿も初予約。そしたらね、予約時に宿泊者名を記載することに気づかずスルッと予約完了してたら、つれの名のみで予約されちゃってて。二人の条件で検索してたから大丈夫だとは思いたいけど、そこからホテルに連絡しようとしてもこのサイトからは電話のみ。イタリア語は無理なのでメールにしたいのに。。苦労して、サイトの窓口からリクエストって方法をとったホテルと、ホテルのサイトから直接メッセージという方法をとって二人で行くよって伝えたら、okわかってるよって返事が来たりしていた。焦るわ。
宿は駅から数分という好立地。
翌朝の屋上からの眺めはこんなです。
distagon 25mm |
Duplex120 |
浦東国際空港に荷物を預けて上海市内に一泊宿をとってみた。
多分人生最初で最後だろうと思われる時速330キロくらのリニアに乗って、アリペイQR(日本にいたうちに登録に四苦八苦した。。)かざして地下鉄にスッと乗り換え、南京路駅から地上へ。ここは歩行者専用の買い物街なんだね。すぐに右に折れ公安と食堂の前を通り過ぎるとホテルの入り口はすぐだった。
手早く手荷物置いて街へ出て、上海の象徴的景色を目指す。
歩行者天国は人人人。人だかりに目が止まって誘い込まれると、フードコートみたいな色々食べ物屋の入った空間。焼いたの、煮たの、蒸したの、色々あるねぇ。で、あっ、さっきから聞こえていた中国歌謡、生歌だよっ、かわいいピンクのワンピース来たきれえな姉さんっ、頑張ってるなぁ。なので、姉さんの前に席を確保して、串焼きのタコと牛肉脂腸麺というものを食す。うめぇ。だしも、具材もうまいです。すごいなぁ、中国。みんな客も楽しんでるし。これらもアリペイで簡単支払いができるし。でも、ビールがぬるい。。
全てに活気がある。
朝、あてもなく歩いてみた。人は少ない。機械屋さんとか並んだ職人街らしきところの食堂で朝ごはんを。ここでも飲茶と麺。ここもうまいし、おねんさんの対応も優しくって助かったなぁ。
上海上陸には普通VISAが必要。そんななか空港によるみたいだけど浦東はトランジットでの時間制限の入国にvisaが免除される仕組みがあっんだよね!それがとってもよかった。
そして次の飛行路はロシアの上空をを飛んでヨーロッパへ向かうのでなんとも微妙な気持ちにさせられる。私の小さな寄付はウクライナへ向けたものだったから。。
4/1から必修授業の受講開始できるので視聴ものからはじめてはいたが、専門領域のゼミは初日である。シラバスのとおり準備を進めていたのに、いざはじまると自己紹介が加わり、持ち時間も減って、発表順番まで資料再構成などでバタバタしてしまった。ほかの方々は澱みなく自身の輝かしい経歴と研究内容を述べていて、これまでやってきたことを自己肯定へ繋げてここでより高めようという方たちが目立った。自分は自信のなさの克服と作品基盤づくりなので、底辺の底上げに関わる研究を目指す。大学院のゼミはm1m2合同なのでやりにくさ二倍だけど、ここから最短2年間の研究を共に進める。
自分にできること、いや、じぶんが進めるべき研究課題の明確化。次の発表までにまとまりのあるものにしたい。
腎臓を一つ摘出してから四年半が経過し、半年ごとの経過観察日なので早起きして市立病院へ。左腕から採血、尿検査、そして1時間後に造影剤を使うCT撮影。この造影剤用のぶっとい針と、薬剤が体にまわる感じはどうも慣れない。
m先生、「問題なしっ」と。ありがとうございます、ほっとしました。
しかもCrの値が、腎臓二つある人の基準内へ今回初めて収まった。右だけで頑張ってくれている証。大切に、大切に。
卒業式がどんなものかなどという記憶はほとんど消えている。なぜならそれはおそらく35年前が最後だから。周りが皆同士とへ言葉を交わし騒々しいがやがて開式が促されると静かになった。校長の言葉や、来賓の祝辞を受け、和太鼓の演奏が始まった。ずんずんと全身に響いてくる演奏を聞いているうちに、なぜだろう涙がじわり。
ちょっとクールに構えていた自分だったけど、実際には入学から卒業へ向けて学んだ事は多くあり、レポートを書いては試験を受け、スクーリングを受けてはレポートを書き、果たして自分にはできるんだろうかと疑問を持ちながら始めた卒業論文は完成までに1年半かかっている。常に追い詰められていてあまり実感をしていなかったけど、じわりと涙が出るほどやはり自分なりに頑張ってきたのかもしれない。それがじわり涙となってあらわれた。
分科会では、卒業証書が一人ひとりに江本先生から渡され、その後それぞれが一言のべる場面があって、最短の2年でやりきった方、たいへん長い時間を要した方、在学中の生活の激変に悩まされた方、若い頃のトラウマを乗り越えた方、多くの生徒がそれぞれたいへんな思いで一つ乗り越え卒業を迎えたことを聞くことができ、また励みにもなった。みなさん卒業おめでとうございます。
そして自分へ、ひとまずおつかれさま。
道北での撮影が無事終わって16時、帰路に着いた。そう、今日は朝から6灯必要な大掛かりな撮影だったことに加えて、学びの場の結果発表日でもあった。資料の締め切りがブレゲンツへ旅立つ前だったので、そこまでにまとめてサーバアップと一部郵送のものを発送しておいた。
「あなたが研究したいことを明確に」
この問いに現状最も興味のある「空中像」についいての研究であることをプランした。もしかして入学してから別テーマや写真論への変更もありうるけど、現状思い入れも強くてうまくプレゼンテーションできそうなテーマに絞って挑んだおいた。
撮影でバタバタしているなか、11:32にメールが受信されていた。表題が『入学選考結果について』。いや〜ドキドキ、本文見ないと内容がわからない仕掛け。
「芸術研究科入学専攻において、合格しましたので、通知します」
おぉ、合格。これを始めるとまた最低2年は悩み続けることになる。思いきってはじめるか、辞退するか。早急に判断しなくては。
待ちに待った判定日。朝から待つものの学校マイページにある成績欄の卒業判定は「 - 」のまま。ん〜発表は昼くらいか。。。 午後1時、ついに「 可 」という表示へ変わった。これで通信制とはいえ大学での三年の学びが一区切りとなった。あぁ頑張ったなぁ。
この年齢で卒業式に出席することがあるとは数年前にはまるで考えていなかったし、なかなか無い機会だから出席のために旅の予定を固めた。最初の2年はそれぞれの学び全てに追われ、最後の一年は論じることの責任や丁寧な説明に苦しんだ。でも、こうして終わってしまうものなんだなぁ。
三年間にいろいろなことを学んだんだけど、いろいろ忘れてしまっていて論理立てて語れることは特にないと思う。ただ、歴史の流れへの関心や、表現されていることへの興味の幅は広がった。そして表現について深く深く研究している人達がいることを知った。
自分のエデュケーション欄、 ”芸術学部卒業” という一行が増える。
九時、予約しておいたユーロシティEC198が定刻ホームへ滑り込んできた。こちらの列車はブレゲンツとズゥリヒ空港を結ぶエアポート連絡列車のようだったけどすでに乗客はおり、大陸のどこからきたのだろう。ECはその名の通り国境超えの大陸横断特急なので、主要駅のみに停車するタイプ。しかしとにかく外観が洗車後のようにピカピカで、イタリアのフレッチャロッサやイタロに美しさでとっても差をつけている。列車は我々をのせるとすぐにライン川を越えスイスへはいった。数日前に滞在したザンクト・ガレン、そしてズゥーリヒ国際空港まで1時間15分ほど。そいえば、ザンクト・ガレンからユニークなおじさまが同じ客車のおとなりの席へ乗り込んできた。ふた席を埋めるクジャクのような帽子と、おなじ素材感の衣装を纏っている。全身みどり。謝肉祭への参加だとメモを見せてくれた。
スイスの空港ビルはスーパーが2軒はいっていて最後の買い物にちょうどよいのだけど、スーツケースは行きのときから余裕はすくなく、泣く泣くあまり買い込めずにパッキング完了。でも、アヒルとかニワトリの置物的立体チョコレートはペットボトルを加工して大事にしまいこんでいたりしている。ターミナルで最後のスイスビールもうまかった。でも、どうもこのあたりから結構体調不調でね、喉がいたいし疲れもひどい。あぁ。これから6時間のフライトでドーハへ、そこで7時間程のトランジット、こんどは羽田行き11時間ほどのフライトのあとに8時間のトランジット。。。
下の車窓の風景は、ライン川の右岸オーストリアと、左岸スイス。河畔や護岸の違いが興味深い。
待合室では一緒になったゴールデンレトリバー君に気に入られ、なぜなぜしてたらべろべろしてかんげいしてくれてとまらなくなっちゃった。。洗礼をうけ山頂へ。同乗した家族のおとうさんは、あっちに山羊や鹿がいるし、反対側の建物はカフェだよって親切におしえてくれた。やまの上はすこし小雪がぱらついていて、それで積もるようなけはいはない。ここには黒白のネコがまっていた。じっと見つめてみると、走り寄ってきて、スウリスリ。つぎは猫の洗礼。。あまりかまってもらうとアレルギー反応がでそうなのでこのへんで。ありがとう。ちなみにこのロープウェイで登ってくると1000mを超えている標高なんだよなぁ。街も湖も、振り向くとスイス方面の山も谷も、そしてライン川を見渡せる。
色々提案できるような準備も必要そうで、ブラッシュアップが必要なのか、このままでなくてはならないのか。石橋さんからは、常に売れるよう形にしておきすぐに提案できるといい、という意見も頂戴したし。課題も多く残した私の会場滞在最終日であった。
夜はギャラリストにお誘いを受けディナーをご一緒させていただいた。わたしは子牛のスモークにツナソースがけのアペリティフと軽めに。横の人はシュニッチェルというオーストリアの郷土料理を一昨日に続いてリピート、そしてお店せ自慢の大盛りデザートでシメ。今夜でお別れである。長いようであっという間に過ぎる時間。私らはあす九時の列車に乗る。マルティンさん、こんかいの経験をさせてくれてありがとうございました。かるく抱擁し、お互い暗い夜道をそれぞれの方向へあるき別れた。次のための準備が必要なんだとかみしめる。
ミスター石橋が誘ってくれたおかげで、ステージブレゲンツ参加アーティスト向け朝のミュージアムツアーに参加させていただいた。まずは、郵便局庁舎上階で行われていた個展のアーティストトーク。日本語解説まで。おかげさまで目の前の作品について理解を深めることができました。続いてブレゲンツ現代美術館を学芸員のお姉さんが一階から三階まですべて解説してくださった。手厚い。しかも特別に無料。
昨日一日中しとしと降っていた雨は上がったけど、今日もまた寒い。
昼過ぎから会場入りして、もうすぐブレゲンツからウィーンへ向かってしまう石橋氏との別れが迫る。昨日の午後からたくさんたくさん感謝なのであります。
さぁここからは通訳無し。ろくに話せないけれど、深めに作品へ興味をしめし質問してくれるお客様へ頑張って作品について補足したり、持参したドイツ語訳入りの巻物を使ったり。基本的にはギャラリストが進めるんだけど、忙しくしているときとかにね。お邪魔になっていなければいいのだけど、本当のところはどうだろう。
朝からほとんど立ちっぱなしで、ふうらふら。通しで夜の閉館までブースに立った。作品の補足ができるのって、やはりいい。まずは東の端の北の方から来たんですって。あまりにも遠いだろーって、みんな驚いてくれて反応もあざやかでステキ。もちろん写真についての質問もあって、シャープなマークの周りにあるうっすらしたシャドウについての質問が多かったと思う。あとは学歴。今年京都の大学を卒業するって言うと、京都にとても反応を示していた。京都は世界に出た時にアドバンテージが上がるキーワードといえる。いやぁ、本日もご成約につながり、ブレゲンツの方々に重ねて感謝なのであります。20時間くらいかけてやって来た甲斐がありますです。
ライン川を渡ると、そこはオーストリア。国境を越えたらしい。実感地は家の違い、人の雰囲気、街の整い方。他にも何かあると思うけど、雨のブレゲンツは人の出も少なく、寒くて、寂しい感じというのが最初の印象。そう、スイスから乗ってきた列車をプレゼンツの駅で降り、割と、目の前のホテルが予約したホテルでチェックイン済まして会場入りする前に、ちょっと街を歩いてみることにした。街の中心部と思われる商店街を歩き小高い丘に登り少し待ちを見下ろした。湖まで出て、もう一度街を歩き、ほぼ唯一と思われるspurで昼食や夕食になりそうなパンやワインを買い込んでおいた。
ステージプレゼンツは駅向こうのコンスタンツ湖畔にあった。夏に湖畔で行うオペラステージ併設の建物がそれだった。
すいている。いや、どんな感じなんだ。建物の前に人はまばら。ギャラリストが手配してくれたチケットを手に、会場へ入ろうとすると、「IBASHOだねっ!」と、声をかけてくれた女性、笑顔で、ブースはここ。マップにマークしてくれた。無事潜入完了し、会場を進むもやはりそんなに混んでいない。しかし奥の奥、最深部付近のIBASHOブースだけ人だかり。なんじゃこれは。そんな中マルティンが日本人を紹介してくれた。北フランス在住のミスター石橋。初めてお会いするというのに、お客さまの動きを見ることや、リピーターに可能せがあること、むやみに話しかけない、状況によってどうするべきか、控えめな対応、また持参物についてもお客様が興味を持つかもしれないことを前提に商品となり得ることを念頭に準備を怠らないで、とのことなど事細かにアーティストとしてあることのイロハをご享受いただいた。とても親切な方なのだ。勉強になる。一つ一つ実践あるのみです。
会場入りして間も無くご成約を目の当たりにした。嬉しすぎてお客様と一緒に写真を撮らせてもらってしまった。作品がこの地に残ること、そしてブレゲンツの方々、また作品をここに組み込んで遠路運んで下さったIBASHOさんに感謝なのです。自分自身もこんなに遠くまで来てみて現場を体験できるのは本当によかった!ミスター石橋も一緒に喜んでくれて、本当にいい人なんだよなぁ。苦労しているからこその姿なのか。仏のようだ。例えが悪かったらスミマセン。
夕食をお誘いいただいた。オーストリアは揚げたお肉にジャムをつけていただくんだわ。一皿に小瓶一本ついてくる。程よい甘みと酸味をカツレツに乗せていただく。うん、うまいです!
考えてみると、アジアの民は三人しかなかったから、会場の担当は、あのギャラリーの作家だろうと予測できていたのだろうと。街でもアジア人は見かけないのでそういうめずらしい感じなのかも。
明け方のズゥリヒッ。急坂に囲まれた街の重要なインフラはケーブルカーだった。少しの区間に二本の別路線があって、両方に乗ってみた。暗い中一本目の駅を見つけて、乗りたい気も持ちはまんまんだけど乗り方も切符の買い方もわからないし、周りに誰もいないので聞くこともできない。。結局リージョンの小さな時間制のチケットを購入。赤い客車へ乗り込むと、やがて扉は締まり動き出した。数分で終点らしい駅に到着したので降りると「コケコッコー」と時報が。鶏の声の時報はいいね〜なんて言って駅を出ると、また聞こえた。暗がりに怪しい影。鶏が暗闇に佇んで朝を知らせていたんだ。おもしろいなぁ。二本目は青い列車が高級住宅街へ案内してくれた。どこの国も高いところは高級な住宅地なのね。11時ごろの列車へ乗り込んでズゥリヒッを後に。
ザンクト・ガレンへ。ここは世界遺産のある小さな山間の街らしい。繊維産業が盛んだとか。まずは荷物を預かってもらおうとホテルへ行くとチェックインさせてくれて、部屋も上の階がいいか下の階が好みかを聞いてくれる。12階をお願いすると、昨日のホテルの何倍も広くて天井の高い豪華な空間。いい部屋だけど支払いは済んでいるから安心なの。荷物を置いて街へ出た。8世紀に建てられた修道院と付属図書館が世界遺産になっていて、目指すはそこ。ロココ調の広間の壁いっぱいの蔵書と天井画とそれを囲む装飾の迫力が素晴らしい。
ここにも谷から上を目指せるケーブルカーがあってやはり登ってみた。ほんの数分で上方の終着駅へ。その駅上部を巻くように丘の上へ登る道を辿ると谷にそう街並みと斜面に点在する家々が樹々の間に美しくパノラマに広がってる。買ったのは1時間の乗り物券なのでいそいで下りの客車へ乗り込みふたたび下界へ。乗り場横は激流の滝、そして駅前のドカンを覗き見る少年たちを真似てのぞき込むと、中はトルネード構造になっていて、地中深く水がかなりの速度で吸い込まれていた。
早めに新千歳へ行くと昨年同様JALが遅れてた。聞くと一本早い便も大幅に遅れていて、空席ありから振り替えOKというので助かった。以降の行程は時間通り。正確な運行時間で動いているもんだよなって感心しちゃう。
CTS - 1h40m - HND
HND - 12h55m - DOH
DOH - 6h30m - ZRH
目的地はオーストリア・ブレゲンツなんだけどウィーンとブレゲンツは地理的に国の東端と西端、電車で8-9時間くらいかかりそう。なので、今回ドイツのミュンヘンかチューリッヒを検討し、陸路移動の少ないチューリッヒ入りとした。
さて、初めてのズゥリヒッ。あっ、こっちの人はズーリヒィとかズゥリヒって言ってるね。ズリヒ空港へは昼下がりに到着。静かで、空いてて、小さめな感じのする国際空港。でもターミナル間を無人列車で移動するのでやはり規模は大きいのかも。この列車はまあるい胴体でまあるいトンネルを進んでゆくので、なんか虫っぽい印象。イミグレーションは周りのEU加盟国と違って対面の質問ありなので、滞在先や旅程などすらすら答える必要あり。税関は怪しくない限り持ち物検査などないみたいで、さっさっと通り過ぎたら、そこはスイス。空港ターミナルにぶら下がった時計はオメガだったけど、鉄道エリアへやってくると、あぁ、これこれ、モンディーン。モンディーンがいっぱいある。しかもぜんぶストップ2ゴー。
スイス、初めて。駅も、街も綺麗。人もガサガサしてない。鉄道時計のデザインも美。
時刻表をみるとIC5という列車がちょうど良さそうなので、SBBの券売機でチケットを購入して番線に降り、滑り込んできたIC5へ乗り込む。あっという間にズゥリヒッ中央駅。人気が少ない駅を背に南方向へ、行き交う路面電車に情緒を感じながら二つの川を渡り、オールドタウンにある宿へ歩く。そういえば一本め目の川は濁っていたけど、二本目の川は川幅広く水量も多のに透明な水で綺麗な川だった。ホテルオールドタウンは一階のステーキハウスが目印。午後3時過ぎのステーキハウス前でモゾモゾしてる我々に店の姉さんが、チェックインでしょ、こっちよこっち、と。ヤサスイ。店の中には食事のお客さんがひとりステーキを楽しんでいる。なので、肉を焼いた素晴らしい香りがたち込めた店内。いい匂いですねと思わず言ってしまった。。
ギャラリーで買い求めた絵からのオマージュ、習作として。 |
案内された部屋は2フロア上階で、レストランで体験した食べ物の匂いなどは全くなく、清潔感あるこじんまりした部屋。窓からは小さな石畳の広場が見下ろせる。さっと荷物を置き、お湯が出るかや排水を確認して街歩きへ出てみた。宿自体が旧市街内なので、外はすぐにレトロな街の空間となっていて、石畳の路地と坂が常に交差し、川を挟んだ両側が山に向かって街が迫り上がっている。そんな山に囲まれた谷にあって大きな湖から川が流れ出す辺りに広がる街。さっきの大きくてキレイな水のたたえた川は湖水を出てきたもので、ズリヒッのまちの最深部を貫くモニュメント的な川だった。
宿からそう遠くないギャラリーの店先で、ズゥリヒッを描いたエッチングに目に留まる。色のついたその絵は横長のパノラマ風構図で、川を挟んだ両側に建つ教会の塔が一段と高くある。湖を背に旧市街を眺めている。自分への土産に買い求め、この絵の場所を目指してみることにした。
路面電車が多い。
水鳥に餌をあげる人々。
橋のライトと窓の灯りが水面に写る、美しい。