日帰りウフッツィ。ウフッツィがどこにあるのか、、フィレンツェなんだね。フィレンツェ。芸術の街。地図を見るとラヴェンナまで来ているんだからわりと近いし、ローマは無理だとしてもやはりフィレンツェへは足を伸ばしておこう。そんな感じで移動のための列車と有名美術館を予約しておいたけど、移動に片道に時間は、やっぱ遠い。
駅に降り立った途端、人人人。駅を出ても人人人。なんとなく皆の向かうのとは反対にあたるアルノ川を目指すと人はまばらになってきた。橋を渡り対岸をゆったり歩く。フィレンツェの街を対岸から眺めながら。
ポルゴ・サン・ジャコポの通りを抜けると有名なヴェッキオ橋はすぐだった。この橋、溢れんばかりのすごい人。危険だ。スリとかスリとか。人多すぎてなんか怖いかも。静かな街ラヴェンナが恋しいけど、この祭騒ぎも楽しい。ウフッツィには予約より早くついたので、並ぶ場所とか入場口とかロケハンして横の広場に出たりしてみる。とにかく人だらけ。祭りじゃないのに祭りは最高潮という感じ。
ウフッツィでは、1300年代のジョットからはじまった。立体感のある人物像表現、これがジョットなのかぁ。そこから一気にフィリッポ・リッピ、ピエロ・デッラ・フランチェスカの侯爵夫妻、ボッティチェリのヴィーナス誕生、ダヴィンチの受胎告知や、ヴェッロッキオとの共作キリスト洗礼、ミケランジェロにラッファエッロ、カラヴァッジョはメドゥーサよりバッカスだな。などと、1600年あたりまでの一連名作を実見で鑑賞。人の波に乗って、時に逆らって3.5時間で一回り鑑賞。まぁ、館内も混んでいてね、ヘトヘト。リトグラフを一枚購入してウフッツィを後に。
美術館からすぐのところに外壁と路面の隅に花が一列手向けられその壁には胸像がやや左を見るようにあった。『神曲』の作者はここが故郷。とはいってもフィレンツェを追放されたダンテはラヴェンナで生涯を終えているので、ここはのちにフィレンツェが設置なくてはならなくなったダンテの家としての施設のようだ。そうはいっても、手を合わせる。そして路地を進むと建物の隙間からドゥオモの重厚な壁面装飾が見えてきた。通りを抜けるとその大きさは更に増す。広場にはジョットの鐘楼が凛々しく天に向かって伸びていた。
メディチ家礼拝堂を左に、フィレンツェのマーケットを目指す。残念なことに一回の物販はクローズしてたけど二階は活気よく営業中。ここで遅いランチにする。イタリア惣菜が数種盛り付けられたプレートとビールにした。フードコートのような感じだけど、飲み物は席に注文を取りに来てくれるし、ウェイターの彼なんかもクールでよかった。
フィレンツェの駅に戻って、18:55発フレッチャロッサ9552でボローニャまでおよそ1時間。地域列車へ乗り換えてさらに1時間、ラヴェンナへ戻った。