古本屋さんから銀塩プリント付きのカタログを取り寄せた。写真家の作品ネガからプリントされているぅ。いやぁ、昔はすごいのがあったものだし、それが残っているものスバラシイです。
で、届いた郵便物に使われたいた切手は1964年のものともう二種。歴史感すごい。古書店ってすごいもの持ってるわ。
古本屋さんにあった年代物のカタログを注文。なんと作家作品の銀塩プリントが直に貼り付けられているではないか!
X1D II についてのこと。
0, (ボディ交換)
1, テザーがUSB2.0。。時々3.0 (長いケーブル不可、ギリギリの長さのケーブルで運用する、かつUSB AtoC の変換ケーブル併用片側もしくは両側に使用、これらが現在の解決策)
2, EVFを覗くたびに、ひとつ前の撮影画像プレビュー。。。(カメラ設定の仕方で解決)
3, EVFにグリッド見つからない。(カメラ設定にないので諦める。動画のみ可能)
4, HTS使っているのにHTS使用データにならないけど撮影できてる。(入れ替えたボディも原宿の個体も同じなので仕様のよう。)
5, HTSにつけたレンズの最大f値になっている。1.5xになっていない。(入れ替えたボディも原宿の個体も同じなので仕様のようだ。)
6, HTSにつけたレンズのAFが稼働する。(サポート外だけど動くと助かることもある)
7, ipadのPhocusへうまくwifi転送されない。撮影画像が更新表示されない。(Macの方をPHOCUS3.6.2にダウンすると解決、PHOCUS3.7ではNGなので見捨てられた機能なのか)ipadのphocus旧来のものにはwifiでのカメラとの直接接続は未対応。今後はPhocus2を使うことになるが実データのみなのかどうなのか。
8, ipadへ転送される画像のタテヨコ回転が不安定。(様子見..)H6Dもそうだった、、ありがちなバグなのか。
9. USBの差し込み具合は、前のボディより安定感増し良さげだが、刺さり具合がやや浅くて心配。慎重にさすべし
10, そして、PCシンクロ接点が無いことに気づく。悲しい。有線のみだと発光しない危険性があるので、現場によっては両方併用の装備でしたので、悲しい。(シューに取り付けるエツミ製PCターミナルを用意して無線をタンデムする)
11, XHアダプターとHC+HTS三脚使用時バランスについて、L-200ロングレンズサポートブラケット、もしくは新たに入手したXHアダプター用Tripod Mounting Ring (75mm) を使用すること。
結局問題点は、本体不具合というより、Hシリーズとは同じに使えないよ、ということ。Xシリーズのぼうが扱いがデリケートなよう。本体入れ替えてくれたお店にはお手間をおかけしたと共に、返品ボディにセットだった外部充電器を充当してくださり感謝してます。
人間を縫うのって、すごいよね。あの夜の先生、ありがとう。
経過観察から、縫っていただいた箇所の糸の切断と抜き取りを本日行った。
くっついている。
話を聞くと、先に内部が ぐにゃり と繋がり始め、表はその後にくっつくとのこと。
表面はくっつきにくいので、縫ったり抑えたりするのがいいらしい。
あんなに切ったのにくっつくのだから、
人体とはすごいものよのぅ。
X1D II軽くて、薄くて、不思議な感覚のカメラだ。先日届いたので実践投入。
XHアダプター + HTS + HC80 これをテザー撮影し現場は進んだ。撮影データはその場で現像しながら進めたのでイメージの安全性自体は大丈夫。しかしハテナなところがいくつかある。。
1, テザーがUSB2.0。。時々3.0
2, EVFを覗くたびに、ひとつ前の撮影画像プレビュー。。。
3, EVFにグリッド見つからない。。。。
4, HTS使っているのにHTS使用データにならないけど撮影できてる。。。。。
5, HTSにつけたレンズの最大f値になっている。1.5xになっていない。。
6, HTSにつけたレンズのAFが稼働する。
7, Ipadへうまく転送されない。。
8, ipadへ転送される画像のタテヨコ回転が不安定。
しかし事務所に戻っていろいろ検証すると、テザリングしないケーブル多数。色々ケーブル変えて、組み合わせも色々試した。短いCtoCじゃないとUSB3.0にならない。そして時々PHOCUS強制終了。。これダメなんじゃないだろうか。購入店に相談すると、メーカーと話してほしいとのこと。。EVFについては設定で解決。ipad転送不具合はまるでわからない。
また明日考えよう。
それにしても質量の違い歴然。部品も少ないからだろうか、Hと比べると破格。
先週末にかけてハードな撮影だったから、傷口ひらいちゃったら大変だってヒヤヒヤしてた。
変色もないので、抜糸しようかって? 聞いてくる。
『来週ですよねっ』て、こちらから。まだ心の準備ができていませんの。
今日あすの2デイズはオンライン授業。神話学。
数日前からシラバス確認していたつもりだったのに、授業資料がアップロードされていることに気付いていなかった。読み物資料多数あり。しかもグループワークの資料も作っていなかった。。涙。
今日は午後スタートの授業だから弁当持って朝早くからかかった。あぁ、バタバタ。
数日ぶりに事務所に出たら郵便受けに入っていた不在票は国際貨物。もしかして。でも授業だから来週でいいやって放置。そしたら運送会社さん、電話してないのに三階まで持ってきてくださった。the(M)editionsさんからだ!うれすい。いいこともあるもんだ。
疲労困憊+オンライン授業の予習から本番+グループワークとはちゃめちゃではあるけれど、パリから本も届いて、なんかうまくいっているのか。昨日までのイメージデータも未着手だから先に進めなくては。ゆえに開梱できるのはまだ先だな。
昨夜11時、ガッパリ手を切ってしまった。
傷口が深過ぎて、見えてはいけないものまで見えている。。
自分ではどうにもならない。。。
運よく向かいの整形が救急当番の日。雪の中、出血を押さえ受付へ。
処置は流水で洗浄。お〜なんてことだ。
診察の前も再度流水で洗浄、ヲオウ。
で、ダンディな医者は私の切開された大きな傷ぐちを縫合して下さった。
ふらふら帰ってもろくに眠れなかったから朝もふらふらしてる。気分が滅入ること多すぎる。。
さて、使っているLeicaについて。カメラはS。それにつけるレンズはhasselbladのHシリーズのものを主にVシリーズのCレンズやCFレンズも混じる。なぜなら私はハッセルユーザーで、駆け出し時代に揃えたCF、2009年にHシリーズ導入で集まったHCDやHCがある。
当初Typ006入手と同時にH-Sアダプターを手に、元々あったHCとHCDレンズの活用の可能性を探り始めた。テザーはUSB2.0ケーブルでMacに繋ぎ Leica Image Shuttle 3 と Captue One を同時に起動させうまく設定すると、wifi経由でipadにリアルタイムにプレビュー転送が可能になる。
今、Sは手元に三台。Typ006にTyp007が2台追加された。ところが007は2台返品となりようやく残った3台目で取り回しのいいスペックに楽しみだったんだけどHレンズと相性悪くて悩まされた。その悩みが解消されてもいないのに4台目が手元にやってきた。その後もHレンズとの不相性は続いた。ライカジャパンに相談しても、国際的なライカSフォーラムに参加して相談しても、ウェッツラーに相談しても、原因も改善策も提示していただけなかった。
悩むこと二年も経過したある日、問題の起きない画像が生成された。ハテナと思って今までの何が違ったか考えた。
『原因は背面のジョイスティックを使ってAF作動させること』
まさかこんなことだったとは。こんなのはファームウエア更新で改善しておいて欲しかった。もう旧機種なので望めないのが残念。
というわけで、最近持ち出しの機会が増えてきた。そして、センサー清掃やらメンテナンスやら確認やらをしてみた。ライカジャパンでのセンサー清掃は6000jpy。アイピース追加5000jpy、カードカバー交換6000JPY, これで、また頑張ってもらえる。
そして撮影画像にハード的な問題のない今、気になるのはレンズのモーター。AFモーター不具合品かとccdセンサー。これについてフォーラムではウェツラーに問い合わせて聞いている方の書き込みを何度か見かけたので自分も問い合わせてみた。SUMMARIT-S70mm CS 1本目はAFモーター交換済。2本目は2017年改善品以降の製品なので未交換。VARIO ELMAR-S30-90mmはウェッツラーでのピント調整時に同時に修理交換していた。Typ006のCCDも対策品に交換ずみとの回答。ドイツ本社もなかなか親切に相手してくださるなぁ。感謝。
そして年末のパリで使った C80/2.8クロームレンズの写りがとっても良くって、C150/4 クローム を追加してしまった。どっちも私より生まれが一年はやい1968年製。T*なしの白レンズ2本目、どちらも Leica S との相性は味わい深いものがあってとても気に入っている。
54になった。しかし特別なにもなく試験付きのレポートに追われるのみ。
あと今ちょっとSを使うお仕事はないので、今のうちにライカを銀座へ出してみることに。006と007を2台。予算1万ほど。修理と部品整備と清掃とをお願いしよう。
社外外装品を外してお出かけの準備整う。
信じたひとは、
うらぎるものなんだ。
もう信じられるものはわずかしかない。
その信じたひとはしにかけていると、
きかされた。
なんかつごういいよね。
こんなことってあるんだからわたしもももういいかな。
いろいろばかばかしくなる。
でもわずかにのこっている信じられるひとと、
あとなんねんくらい信じあえるんだろう。
届け 提出
3年やらせていただいたが限界だと思いました。
申し訳ないですが、ここで終わりとさせていただくことにいたしました。
辞任。
ふかんぜんなのはわかっているのですけど、ここが限界。
結局この程度の人間でした。
9月末、「Confidential: Congratulations: 2022 Paris Photo - Aperture PhotoBook Awards」というタイトルのメールが届いた。ん。確かに8月の学校レポートの後に慌てて準備してエントリーはしていた。EMSでニューヨークのアパチャー財団へ送った書類もギリギリの期日に到着していた。駆け込みであった。10月の3日にアナウンスするまで機密事項。またまた書類と資料をまとめて財団へ送る。
あぁ、なんということだろう。パリフォトのファーストブックアワードのショートリストに選出されているの。感激。
出版してくださった、the(M)editions Paris, IBASHO Antwerp, 翻訳を手伝ってくださった Elizabeth Addyman さんに感謝。
プリントの方向性をアドバイスしてくださった冬青社の高橋社長、素案を投げかけてくださった六甲国際写真祭のレビュアーのみなさん。そしてレビューに対峙するテクニックをご教示くださった写真家TomofumiNakano氏、地元のことばについてご助言いただいたアイヌ民族博物館(現・国立民族博物館)立石氏、IBASHOとの出会の場を与えてくださった京都国際写真祭と通訳の方に感謝いたします。
ショートリストに入ったことで、ニューヨークアパチャー財団のライブラリーに永久的に収蔵されます。そしてショートリストの20冊は2022パリフォトで展示され三賞が11月11日に発表。続いて展示は翌年春にニューヨークで行われる。
2021年の出版はパリフォトへ向けてだった。セラミストTomablok とのコラボ、レギュラーエディションのオランダ robstolkでの制作。因州和紙を使った限定版、しかも出版はフランスとベルギーの出版社による。
「Aperture First PhotoBook Awards 2022」20 shortlist
10の問いに対して1600字程度答えを10用意して試験に挑んだ。そして2つの科目を今日受験。ん〜。予想外の問題にあたふたした1教科が心配だけどこれでスッキリ。すっきりしていたところ、アワード締め切り案内のメールが目にとまってしまう。。ん〜。準備することにしよう。エントリーまでわずか。どう乗り切るか問題。。
なぜだか常に問題が起こる。
なんとか一年間の区切りを終えた。30年ものブランクを乗り越えて 56単位。ほんとにほんとにつらかった。けどまだまだおわらない。。。
アントワープのギャラリー「IBASHO」のマルティンさん、アンマリーさんにはお世話になっている。初編集して世に送り出したいと願った手製本は売り切っていただき、昨年、ヨーロッパでの出版の機会を与えてくださった。アムステルダムのロブストルクにて500部のエディション版として印刷製本され、40部をここの工房で再編集手製本として仕上げた。
「the(M)editions」のマリーさんとともに作ったこの本はパリフォトで、いい結果を出せたという知らせをいただいた。
パリフォトはあっという間に開期を終え、年末年始はベルギーにて、本を中心としたグループ展に入れていただいた!
これが、『#49 ibasho&the(M)editions present 'the photo book as object'』
13名の作家本と、オリジナルプリントによる展示会
https://www.instagram.com/p/CWDOBulI9E7/?utm_source=ig_web_copy_link
旭川赤十字病院のS先生、看護師の皆さん、まっしろになっていた肺をなんとか戻していただき命救われました、感謝しております。ほんとうにありがとうございました。
旭川行きをコーディネイトしてくれた札幌市保健所やそのほかのみなさま、ありがとうございました。おかげさまで助かりました。
旭川まで防御服で送ってくださった運転手さん、看護師の方、往復300kmもあったようで帰りもたいへんだったとおもいます、お世話になりました。
ホテルの対策チームのみなさま、ほんとうにご苦労様でございます。薬やゼリーや補給水、おかゆなどご配慮ありがとうございました。
5/1倦怠感
5/2 就寝時悪寒
5/3___
5/4、夜中全身の痛みで目がさめる。脚から足先に寒気。朝は36.6度。午前にレポート提出後、午後から突然 38.3度。夕方までに保健所へ電話、明日以降PCR検査と。夜38.8度。家庭薬解熱剤後、37.4度まで下がる。
5/5 38.4度 解熱剤飲み自分で南区まで運転しPCR検査受ける。37度。運転辛かった。外歩くのももちろんきつい。ふらふら。夜38.8度。20時39.4度。夜中2時 39.0度。
5/6 4時38.3度 陽性反応聞かされる。夜39.4度 解熱剤 37.3度
5/7 2時38.2度。15時39.2度 何も食べられないすでに3日、ネクターとゼリー程度を流し込む。夜38.8度
5/8 5時 39.1度 ここまで、自宅待機。 午後、保健所の手配で護送される。ホテル収容。解熱剤処方されるカロナール。酸素飽和度悪いが、他の指なら大丈夫だねと。95あるねと。
5/9 39,4度 もう限界か。。食べられないし熱も下がらない。。ゼリー食べるものも厳しい。ホテルのお弁当は全く手がつけられなし。一階まで取りに行くのも苦痛。酸素飽和度悪いが、他の指なら大丈夫だねと。。
5/10 38.8度 熱が少し下がった。酸素飽和度悪いどの指でも88ー91。食事は受け付けない。解熱剤変更、ロキソニンと胃薬。
5/11 酸素飽和度悪いが、そう聞き入れてくれているようではない反応なのか。このあたりで入院先は探してくれていたのか。。
5/12 点滴処置、夕方部屋に電話あり明日病院へ移動すると。
5/13 朝、救急用タクシーで移送。 旭川まで連れてきてもらった。(粘膜検査、CT、レントゲン、ステロイド点滴開始、こうせいぶしつ投与、心電図24時間観察、酸素飽和度24時間観察、酸素吸入24時間)食事はほぼ食べられず。
5/14 ようやく昨日から治療めいた感じに。昨夜の寝汗がひどい。食事はおかゆになり朝と夜は食べられたが、昼は7割くらい。熱は37度代まで下がった。
5/15 この当たりから、随分楽になってきた。食事は三食完食。 熱36度代へ。
5/16 熱36度代。
5/17 酸素外してみたが、数値安定。楽になってきた。 熱36度代 血液検査、粘膜検査レントゲン。
5/18 心電図、点滴外れた。
5/19 ステロイド投薬終了。レントゲン、血液検査、粘膜検査。血糖値検査最後。
5/20 眠れない。二時間おきに起きてしまう。間食許可出る。皮膚のかゆみに軟膏対応してくださる。
5/21 レントゲン、血液検査。粘膜検査。 酸素飽和度24時間監視終了。
5/22 退院 妻が旭川まで迎えに。
4月が半分終わった。。このところの悩みみたいなもの。
展示とりまとめとDM構成に悩み展示プラン進まない。学びは自ら望んだことであるがレポート提出が迫って来ることに焦り進まないうえ、テキスト読解が容赦無く襲いかかってきている。写真の学びも始めたがノートがとれていない。Photo Book英語での進行がうまく進みますように。撮影忘れてる。カメラ触らない日が。般若心教少し滞っている。ながらのものたちがたくさん迫ってくる。いや、うまく進める、なんとか進める。できることをできるだけ。そういう気持ちでまずは4月、5月を。
近所の小さな画廊の店先の絵に足がとまる。おじさん。。 ひょうきんなキャラクターになってこちらを見ている。なんだか懐かしさも感じるし初めてみている気もする。畦地梅太郎氏の版画作品を現代刷り師が刷り上げた小版木版画とのこと。あとで調べると真作はやはりそれより大きいものが主、ご本人はすでに他界され作品たちはそれなにりの時間を経過しているらしい。他作品の絵柄、配色、構図どれも好みなのはゆるめに見える印象の中に隠れている芯の通った考え方や技術力なのか。山と山の男がメインモチーフのようでたくさんの作品が残されていることもわたしが好むわけか。中でも雷鳥がよく登場していて可愛らしい。縁あって一作品が手元にやってきた。濃い青の中に三つの峰、おそらく石鎚山と思われるそれを背に枯れた樹林を抜け下山してきたらしい。若者だろうか、氏の作品では珍しくヒゲのない人物が不安とも無ともとれる、気の緩んだようにも見える。手袋の左手を胸に添えひょうきんな眼でこちを見ている。
撮影終了17時千歳。その足で木古内まで走ると穏やかな夜の空に月が見えていた。風の音で目が覚める。カーテンを開けておいたはずの部屋は暗く窓外もくらい。チェックインしたのが22時だから4、5時間は過ぎているけれどまだまだ夜中。危険なほどの大荒れ予報となっているのだけどどうやらその通りになってきたらしく、風を切る音が危険な響きを発していた。
昨日、なんの前触れもなく教授で美術家で写真家のI氏が来所された。今週の疲れた体が持ち直してきた土曜の事務所、ようやく撮影イメージと向き合おうと真面目に仕事を始めたところドアがノックされた。それに応え入り口を開けると笑顔の氏。彼は海外のフェアに積極的に参加している人だから、以前のような世界であればおそらく来道などすることはなく世界を飛び回っていたことだろう。コロナ禍のおかげかその彼がかつて過ごした別海へ行き、その足でここまで来てくださった。google maps 写真事務所を検索しました、と。4年ほどの歳月が流れた。その間彼はチリのアートフェアで巨大地震に出会ったり、アメリカでの作品集出版を控えていたりと、流石の活動ぶりを聞かせていただいた。日本と海外におけるギャラリー、出版社の考え方の違いから、ここらあたりでは誰にも聞けない話も聞かせていただいた。やはり世界を相手ににしている人は話題が違う。
ついていない。
暮れにうちのH6が動作不良で修理へ旅立っている多分本国へ一時帰国。。
前年から気づいていたのだが、やっと落ち着いたかと思った S 007、高速側CSで撮影するとミラーの影らしいものが写ってしまう。。
自粛期間だけど年明けの冷え込みに見ておきたかった石狩海岸を撮影してきたが、そのデータ全滅。キャプチャーエラー。。H4Dさんよぉ、ぐすん。
仕事が、コロナで流れてゆく。。
いいことも。
ベルギーから新年の挨拶と、彼らのコレクション作家のカードがごっそり届いた
占いは調子いい
H4Dのデータは本国スウェーデンで解析中。強風のマイナス8度。撮影時バックモニターに画像異常がなかったので、撮り進めていた。結果がどうであれ撮影イメージは復帰しないだろう。。気づきのポイントがあったことはあとで解った。キャプチャー画像を拡大表示する事。こうするとデータになんらかの問題がある事がその場で気づけた。
もう今年も半月過ぎ去った。。で、先日暇なものだからHDDを整理しようと、過去データを確認したりしていていた時にやってしまった。。
消すべきではないディスクを初期化してしまった。悲しい。気づいた時にはもう前には戻せない。。
データ復旧はお値段がそれなりと聞きかじっているから諦め前提でweb調べると、あるね。
EaseUS Data Recovery
1万円で一月、2万円で期限なし。数コマのデータ復旧だと無料らしいが、こちらはHDD2Tの修復で、流石にそれは有料なのね。コロナ禍において余計な出費は抑えたいけど勉強と思ってライセンス購入。おそらく撮影メディアも復旧可能だから保険保険。
流れとしては、アプリダウンロード後回復したいHDD選択し実行、20時間ほどでデータスキャン完了、ライセンス購入し別のHDDへリカバリー開始、およそ10時間後完了。
そして、待ち時間が長いから、運動不足解消に三角山へ。久しぶり&雪山だからなのか、脚が息が、登り坂がきつすぎる〜
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Typ007 w/VE30-90 |