人は死んだらどうなるのだろう。
「神曲」なかの三つの章。先人が行けるのは煉獄か天国か、はたまた地獄か。現世の所業がその行先を決める鍵となる。とのことだ。イタリア行きが決まらねければダンテの詩を手にすることもなかった。でもダンテの手ほどきから、キリストの教え、イタリアの地、人、所業とその後を考えることができた。また、仏教にある地獄などにもとても共通しているのがわかる。ここに記されていること、ここから何か得なくてははならない。
帰国して感じていた違和感。数日後それは変化へ変わった。お隣からどったんバッタン騒がしく何やら響かせている。さらに今まで見かけなかった男どもが何やら作業をこなしている。まさか、引っ越し? それで荷物を整理して事務所を小さくするのか。。 色々考えていたけど家主に遭う機会もなく誰にも何も聞けなかった。やがて部屋から大量の物品や段ボールがものによっては整然と、ものによっては雑に廊下へ出され始め、それはいつしか夜もそのままになっていた。そして毎日連中がやってきて作業を続けていた。
数日経過した21日土曜の朝、早い時間に事務所へ出て管理人が来たのを見計らって尋ねた。「引っ越しですか?」というと、曇った表情になり『あれ、知らなかった?そう引っ越し。。」やや間をおき「亡くなったんだよね。月末か月初のこと。』詳しいことはわからない、という。えっ、亡くなった。。。。。いつも挨拶を交わしていた人だよ、入居依頼ずっと。もう会えないなんてことあるのか。こんなふうに死は突然やってくるものなのか。
26日、同じフロアの方に事情を聞くと、あそこのお姉さんたちも昨日が最後だったと教えてくれた。あの方たちとももうあうこともないのか。ちょうど私が事務所不在にしていた頃に事が起こったとはいえ、誰も何も聞かせてくれないのは自分の不徳のなすところなのだろう。せめて人に迷惑を残さぬようにと心がけたい。