2019/05/30

5/30

基礎体力向上への思いはこうして登ることで。

今日の三角点
typ006+HC80



2019/05/25

5/25 半島の磐

白いと黒いの交わるところ。磐 (夏の村)006+HC80

2019/05/14

沖縄 w / leica006+HC100


那覇にて。


ハッセルブラッドHCの中でもっともハイスピードなレンズは100mm
なのだけど、わたしの好みは80mmだと決めつけているところがあるうえ重いし大きいし販売価格も比例して高価なので高嶺の花と言ったところに位置している。
持って見ると金属質量の高さと吸い込まれそうな大きく存在感のある前後玉ガラス、フード装着したバランス、筒状のデザインどれも風格を感じる。

5月の沖縄はすでに夏本番というのかとっても蒸し暑い。北海道の人間にとって湿度はなかなかこたえる。むおっとした空気のなか石やシーサーを通し、家々、道路や生活の佇まいを少しだけ覗いてきた。
今回依頼仕事で訪れることができた那覇にて夕方から翌早朝 Leica S Typ006 と Hasselblad HC100/2.2 とともに。


2019/05/02

5/1

左脳部脳梗塞は2〜3日前の出来事と思われる。
他に過去の脳梗塞あとが数カ所。これ痴呆や物忘れの最たる原因とのこと。。
倒れたとき顔色の変化見られず、体温や汗も極端な変化を確認せず。軽度にろれつが回らず滑舌悪い。

そうそのとき、立っていたその場で膝を折り崩れ落ちた、目を閉じ受け答えがはっきりしない。
こううい状況を目の当たりにしたことが無い自分というのは、なかなか冷静でいられないものなんだと知った。

今回のが軽いものでよかった。けど本人は生活の見直しなど色々考えるところ多かったみたい。

そうそう、数日前に何かあったかきてみると。。「なんだか字が書けなかったんだ。けど少ししたら大丈夫だったから気にしてなかったわ」とのこと。みんなにありがちなだけに怖いわ。

2019/04/30

4/30 おやじ


看板の取り付けを手伝ってきた。

今朝は早起きし、新千歳まで二人を送りその足でタイヤ交換をと実家へ。
「おぉ、はやいな。今頭洗うとこよ」って親父が言う。
まぁ、いつもこんな具合だからまぁいつも通り。
そしたら、なんだか夫婦げんか中。
それもなかなか険悪な状況と察し、外へ出て早速本題の交換を進める。

このタイヤももう間もなく替え時か。

交換を終えると、「これつけたいんだっ」親父が言うその先に枠に張られた大きな看板がある。取り付けセッティングから最初のうちは親父に主導権があったけど、いつの間にかこちらが率先して進めていた。そしてなんとか壁へのドリル打ちを終え設置用梯子など機材を片付け、写真なんか撮ったりして。
なんとなく二人で話していたとき、なんか様子がおかしいと思った直後

あぁ、ダメだ。。。

平成最後の日って言うのは、なんだろ。こう言う日になる定だったのか。

2019/03/12

3/12 函館にて

 私のなりのよくない口笛に反応してくれて、奥の止まり木から歩いて近くまで来てくれた。

オカメインコ、可愛い。

函館の植物園にてロケ中の空き時間。



2019/03/03

3/3 

6時半ころ、
西の空しか見られない窓だけどこうして日の出を感じる。なんだか少しけむって見えるのはレンズのクモリではなくこのところ数値の高いPM2.5かと。。

BMPCC4KのDNGによるRAW.


2019/03/02

3/2 忘れていたファームアップ

音がなるようになった。やっとH4Dみたいにボタン類が押せていることがわかるように。

2019/02/25

2/25 山形

日帰り。
4時半起き6時始発のJRに乗り、7:50の仙台ゆきに搭乗。
天童市というのは将棋駒の産地として有名なんだね。
行きたかった山寺は今回麓だけ見てきたから、また次の山形行きが楽しみ。
帰りは23時過ぎの帰札。




2019/02/23

2/23 006も帰ってきた。

雪になった。
もう春なんだって思ったらこんな感じに雪になる。
ただ春のゆきは降ってはすぐとける。

S typ006が4ヶ月の旅から戻ってきた。

電子基盤交換
OLED交換
センサーキャリブレーション

東京での判断に1ヶ月、ドイツでのメンテナンス3ヶ月と長かった。
早速感覚を戻そうとするも、まるきり操作設定を忘れてしまっている。。。


2019/02/21

2/21 修理完了hassenlblad H4D-50 改めincl, H3DII-50 !?

画像に線が二本。。うげっ、割れてる。。。
あれから1ヶ月ちょっと。

H4の修理が上がった。
今回はセンサー割れというとんでもない事態に絶句。IRフィルター割れではなかった。
サービスの方からの提案もあって、バック部が交換されて戻ってくると思っていたけど、違っていた。
中身が移植されているようで外観はH4D、バック内部がH3DIIというキテレツな仕様になっている。
まぁ、思い返せばこのカメラH3DIIだった。
購入契約時H4Dへアップグレードしてくれるというキャンペーンの恩恵を受け、H4Dへチェンジしていただいたのは思い返せば2009年。それから9年もの間たくさん稼いでくれた。やや引退気味の中フィンランドで強打しマウントや回路の破損修理となった。



2019/02/14

2/14

プリントのスタイルはこの形に。

P25+ w/C60v

2019/01/12

1/12 センサー破損、割れ

うちのメイン機 H4D-50...
うげっ、割れてる。。。
ショックすぎて、気分が悪くなってきた。。

昨年秋に交換してもらったフィルターがこんなことになるなんて、どうかしてる。
10年使ってきて割れたことなどないのに、一体どうなったらこうなるんだ。。



2019/01/11

1/11 ゆき

景色が霞むゆきは札幌でもなかなかない。ふかふかだし綺麗だ。撮影してきたらなんだろ、画像に髪の毛のような線が二本。。

2018/12/30

12/30 平成

年内の業務は今日で完結か。
納品はとっくにかんりょうしいていたが、その他整理できていないことがたくさんあった
て悶々としていた。
最近はようやく腕が少し上がるようになって、
肩手術のあと三ヶ月以上経過しようやく動かせるようになってきたっていう状態。
こういうので気分も重かった。

月中にあった英語でのミーティングの経過はやっと今日EMSで発送。
これ、プリントなんだけどまぁ迷いと悩み、技術が。。。
時間が必要だった。
そもそもコントラストを上げ気味に持ってきた作品だったはずなのに。
手製本のメディアを和紙にしたのが結果より黒の優しいトーンを見せるという表現になっていた。
もちろんわかっていたつもりだったけど、人間甘さが出るよね。
このメディアだからこうなるみたいな見せ方をしてしまっていたんだわ、俺。
反省。
半月かけてやっと見えてきた。
甘えは通用しない。
本もプリントも最上級の統一感が必要で求められる。
気が抜けない。。
この過程の甘さで判断されたら、自分を責めるしかない。
結果は2019年へ。

初めての方法でEMSパケットみたいな発送と年賀を先ほど中央郵便局で済ませた。

ろくに片付けできていないけど、もう今年ことはいっぱいいっぱい。
今来年使い始めるmacboopproのセッティングを遺佚頃まで行った。
4core 2.7GHz i7

2018/12/22

12/22

 三角点

H6D+HC80 


2018/11/11

11/11 日々再度

なんかね、気力が。。。
体力も。
肩もいたいし上がらないし。。

って、弱気なことばっかりでどうもこのところ良くなかった。

修理代も振り込んだし、痛みもとれてきたし、リハビリもすすんでいるようにおもう。
いろいろ平常通りに向かっているのではないかと。
良いことも有るわけだし、日々いろいろゆっくりではあるけどすすんでる。
最近はインスタグラムってのに写真画像をアップしてりもしてみている。
今日、少し過去分日記を更新。
こういう時間も必要なんだとおもう。

誰にもたのまれていないことだけど、自分のために続けたい。

2018/11/10

11/10 修理と再修理

一昨日発送したカメラが届いたようで修理受付されたライカ、しばし完成を待つことになる。
およそ1ヶ月〜数ヶ月かかるという。

再修理のハッセルは、連絡ないがおそらく到着していることだろう。
月曜日あたり診てもらえるだろう。


2018/11/09

11/9 キイロ

近所を歩く。
ここらの木はイチョウが最後だな。
これが散ったらもう秋も終わりか。

Zeiss Distagon T* 2/35 ZE




2018/11/03

11/3 スイスみやげ

今日は裏の店で報告会っていうか。スイスの土産話を聞く。
スイスの飼い犬やマッターホルンにラブのようで、
すっかり楽しんできた様子がいいよね。

重たいのに。瓶ビールありがとう!!

Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZE

2018/11/01

NYC 5 11/1

スタティンフェリー、インディアン博物館、SOHO、ICP


2018/10/31

NYC 6 10/31

ロッカウェイビーチまで

ダウンタウン






2018/10/30

NYC 4 10/30

セントラルパーク


2018/10/29

NYC3 10/29

昨日の昼に指定場所に行ったがよくわからず。。
メールの住所にあるビルに受付があったので場所を尋ねると、それはカーネギーホールのボックスオフィスだから、信号を渡った所だと教えられた。なんダァ、やっぱあそこだったか。
重々しい建物のロビーへの入り口には入場チェックしている人がいて制限している、事情を話すと即OK、中へ行けと。ガラス越しのお姉さんにチケットを受け取りに来たことを言うと、奥から一枚持ってきてくれた。身分証的なものを見せろと言うので日本広告写真家協会のプレスカード兼会員証を差し出した。これ英語表記されているからこういう時に使えるんだ。

さて、無事にチケットを受け取り会場の入り口チェックもしたので、夕方までの時間をどうしよう。。
買い物も時間かかりそうだし、早目に済まそうとダウンタウン方面のadoramaへ。
結局仕入れは大きなショップであるB&Hでいろいろ物色。
30mm中判センサー用スワブ、
H6Dバッテリー、
11×14アカーバルボックス2.5インチと5インチ、
スタジオ用品細々したもの各種、

これをでっかいビニールバッグに入れてもらい地下鉄に乗るなり空き席へ、横の人はエキシビション帰りでB&Hの小さな袋を持った人だった。。なんか爆買い的日本人の自分が気まずい。。

ブラックスーツに蝶ネクタイ。革靴。
Sをぶら下げカーネギーホールへ。
地下二階がザッケルホール。
ホワイエでは昨夜のような撮影もしているし、皆片手にグラスなど持って上機嫌に話込んでいる。素敵な賑わい。
入り口からホールへ。
ステージ左手ではトリオの生演奏がさりげなく行われ、右側にはルーシーアワードの大きなモニュメントが置かれている。
ここだ。

ん。BB-14。
これ前から二列目じゃん。いいんですか〜って感じ。
隣の方はすでに着席していて、カテゴリー1st受賞者さん。
自分はプロ部門のbookカテゴリー3rdだよなどと挨拶したりして。

〜〜〜授賞式の様子

ホント疲れちゃって。。
肩の痛みもなかなかなものだけど、全身がいたむ。ツライ。。
今日は休むか。

そうだ、まともに歩いたことない近くの大きな公園のベンチとかで休もう。
S+HCD28mmと新書「写真の読みかた」を持って出かけることにした。
公園の中へ入った途端岩盤があちこちにあってこころざわつく。人々は登って遊んでいるが俺は正直怖い。。。こういう岩の上で転倒して散々な状況は今も続いているからね。
和ませてくれたのは、たくさんのリスや回転木馬。
それらを前にベンチで休んでみたり読書したりストレッチしたり。

空気も良くって、体調も回復傾向。なんか歩いてみようと言う気分で、池のボートでフライフィッシングや、ラジコンヨットの優雅な動き、木々を眺めたり、出店やパフォーマー、いろいろ観られて面白いとこなんだね。

広い。
結局頑張って一番奥まで歩破できた。
途中MOV撮影を始めようっていう若者が、目ざとくそのカメラは!?って聞いてきたりしたな。これはライカでミュディアムフォーマットだよって行ったら、自分のことにように喜んでたな。いいやつだ。





2018/10/28

NYC2 10/28

5時間ほどで目が覚める。
疲れ切った体には足りない睡眠時間だけど、肩の痛みもきになるのでバスタブにお湯をはって肩をあたためた。
肩というよりその付け根から腕部分が痛いんだ。
肩を抑えながら腕の運動を試みる。
動かしゆくうち、少し良さそうな兆しが見えてきた。筋トレが回復に欠かせないみたいだ。

7時すぎて少し明るくなっきた。SにHC80をセットして部屋を出た。
厚着してでてきたが空気はとても冷たい。雨後の街は雰囲気がいい。
セントラルパーク入り口まで撮影し、Dunkinでドーナツとコーヒーを買って一度部屋に戻った。

今日は昼からチケットが受け取れるのと、夜カーネギーホールでの表彰式がある。









2018/10/27

NYC1 10/27

ニューアークの出口でSIMを入手しなかったのは失敗だった。
こんな異国の地でnetworkに繋がっていないという。。。かなしさわびしさ。そして不安のまま移動開始。空港連絡モノレールを目指す途中に券売機がありそこでNYまでのチケットを購入。無人運行のAirTrainに乗りINTERNATIONALstationで乗り換え、NY行きのごっつい2階建てNJTranjitに乗り込む。向かいの席には黒人マダム4人が楽しそうに大声で会話している。こちら側の席に三人で座る白人おじさま仲間に席を空けていただき、運良く座ったらあんたわついているみたいな事を向かいのおばさまが言っていたな。ニコリと返しておいた。さて乗り込んだ列車はいまどの辺りを走っていて、本当にNYペンに向かっているのか心配。。wifiも繋がってないし地図もダウンロードしておかなかったことを悔やむ。
車掌が切符の確認にやってきて、俺のを確認。問題ないみたいだけど切符回収してしまって返してくれなかったぞ。あれれ?
50分くらいで列車は終着駅ペンステーションのプラットホームへ滑り込んで停車。良かったネットワークのないままニューヨークへ着いたみたいだ。

さっそく駅で電話キャリアみたいなのを探し、眼に入ったモバイルショップでツーリスト向けSIMが無いかと訪ねたところあるという。〜GB30ドル、〜GB45ドル。他のこれまでの国々のSIMより高値だがこれはニューアーク空港で見たのより安い。しかも国際電話付き。聞いたことのないライカモバイルというのはMVNOなのだろうか。
なぜかキャッシュでとうおにいさんにiphoneのセッティングもしてほしいとお願いし、通信完了状態まであっというま。君のSIMの説明だよと、google翻訳してくれた日本語をみせてくれたりホテルへの道順まで教えてくれた、ありがとう!

4年ぶりのNYは夜の霧雨。
痛む左肩をかばいながらリュックを背負いおおきなスーツケースをごろごろしながらアップタウン方向セントラルパーク側へむかって歩き出した。なんか登りかな。そして人がどんどん多くなる。penstationからホテルへは7th avenue 一本だがタイムズスクエアをつっきるのだからまぁしかたがないのだろう、祭りのような具合にごったがえしている。

群衆、荷物、徒歩移動でホテルへついたころには汗ばみ、疲れ、かたの痛みも気になる 状態。

荷物をセットし直しSを持って、早速夜の街へ出る。
さきほどより雨らしく大粒になっている。50th street stationのホームへ入ると自分の行きたいdowntownではなく困惑。鉄路のむこうに見えているホームなんだろうけれど行き方がわからない。。
結局2.5ドルを捨て、改札を出る。雨の地上でこの駅のダウンタウン方面乗り場を探したがみつからないから、ひと駅分あるいてやっと次の駅から地下鉄に乗ることができた。

何も案内看板なのないビルに入る。エントランスの先のホールには受付のお姉さんが待っていて名前を尋ねられる。
IPA Annual book SHOW は大きなビルの三階で行われていた。


通路に当たるところではアワード選出作品の展示、そこをぐるり見た後に先へ進むとホリゾント? スプラッシュライトというのは巨大なスタジオだったのか。。ケータリングサービス、DJ、shooting...、盛り上がっている人もいるし淡々と作品鑑賞の人もいる。
なんだろ、すごい。けどこのへんでもう時差や雨の街歩きや英語に疲れちゃって。。倒れそう。帰ろう、ホテルへ。リュックからSを取り出し振り向いて一枚。スプラッシュライトはこんなビルの中。



2018/10/20

10/20 LEICA S typ006

この判断に至るのにそう時間はかからなかった。

そう、2009−2010年銀座T社にてデモしてもらったのを鮮明に覚えているからだ。
T氏がみせてくれたのは、まったく候補にしていなかったS2というライカ。
これ、まず手触りがいい。シャッターの感触から音、液晶表示が繊細、ボディー操作ボタンが極めて少なく文字がほぼないのでデザインを邪魔しない。ファインダーを通した世界も美しく印象的に見える。すべてが上品。

なんだろ、記憶にのこってしまうカメラだった。
その後ライカ銀座の二階奥にあるプロショップで話を聞いたこともあったが、ハッセルHCレンズが使えるのは確かだがファームの古いレンズはNGだったりするので、まずは純正レンズのセットがおすすめとのことだった。HCレンズ大丈夫なのでまずはボディーをって勧められたら入手していたと思う。この時、ショールームのギャラリーにはSで撮影された大判写真がずらり展示されており、その美しさにまたうっとりしていた。
まぁ、そうはいってもやはりライカはライカで、世界最高と言える値付けなのは間違いない。しかも市井の者がライカの中判など使っていいのだろうかと言う自問自答もあった。
とにかくそのあたりいろいろがネックになり諦めていた。

もう発売から10年くらい。。
その間、このこのような推移を遂げていたのを最近知った。

s2
s2-p
s typ006
s-e
s typ007
s3(2018秋発表、2019春発売予定)


このところ仕事を手伝ってくれる若者がライカの人で、自分も大枚はたいたRシステムを泣く泣く手放した人間なのでleicaの話なんかになるともうleica魂再燃といったぐあい。中古があることも驚きだけどその市場価格に平常心ではいられない、あのSがまさかの値付け。人気ないのかぁ。

NYCのカメラショップに運良く在庫されていたS-Hアダプターを、東京の店からCCDセンサーのSをとりよせた。
マウントアダプターによってHaselblad Hシリーズのレンズとほぼ互換がある。まずは手持ちのHCやHCDレンズで使用開始。

ちなみにこの画像、初期型HC50mm+HTS1.5の組み合わせで撮影されている。絞りもレンズシャッターも問題無しなうえHTSでAFが作動するという奇跡。素晴らしい。(ハッセルではAF
は動かない・・)

2枚目は1枚目の100%あたりのもの。

そのほかインスタに。
この中のNYC ストリート写真はS+HC80,S+HCD28、いずれも純正アダプターS−Hを使っている。
https://www.instagram.com/yoshinori.saito.5/?hl=ja



2018/10/19

10/19 IPAチームからメッセージ

IPAチームからメッセージが届き、君のチケットを確保したと書かれている。
やったぁ。カーネギーホールへ。
前日の夜にはIPAブックショーやアワード作品展示がSOHOのほうであるし。

よし行こう、New York。

そう決めれば、あとは切れてしまったままだったestaの手配と宿と航空券。
まずはホテルと航空券予約優先。
Expediaでの予約は簡単なんだけど、このホテルを選ぶとこの航空会社が出てこないということがある事実を知ったし、料金同じなのに東京乗り継ぎの空港が違うというのもあった。あぶないあぶない。慎重にチョイスする必要がある。

今回、ユナイテッド航空をつかい札幌〜成田、成田〜ニューアーク国際空港というながれ。トランジット2時間。効率良いね。
ホテルはどこも高額なので中心部でカーネギーホールに近いシェラトンに決めた。


2018/10/17

10/17 しこつこにて

風邪が悪化していて
辛い。。
腕も上がらないのに加え体調も悪いから、残念な人になってしまっている。。

だが昨夜遅くに現場入りしてくれたSくんは、頼んだ薬やマスクに加え栄養剤とかまで買ってきてくれた。
ありがとう。
おかげさまでなんとか乗り切れたね。
感謝。



2018/10/15

10/15 ベルギーでの在庫

ギャラリーのオーナーからメールが。
キミの本は全て売れた、残りがあるなら送ってほしい。

それとプリントが見たいという、
願ってもない申し出に浮き足立ちそうになる。

どのよような提案ができるかは自分次第。
どこまですすめられるだろう。。

ということで、After the Snowstorm 手製本は残り10程となっていて、なんだろうだれか人の手にあることはとても作品が喜んでいるとおもう。

感謝。



2018/10/13

10/13 ワークショップ

冬青の髙橋社長が来札された。
一年ぶりのWS。
今日もレビューをもうしこんでいるので、緊張しながら夕べまでに準備は整った。
会場にはいると、知った顔がいてなんだかほっとする。

午前から夜中まで、ぶっ通しの写真塾。

終わって見ると、写真仲間がまたすこし増え、作品づくりの収穫もあり、先生との再会と楽しいことが沢山。
もちろん、人の作品を観ることで、こちらも緊張させられるし考えさせられるしアイデアのヒントもいただけた。

さぁ、じぶんは次に何をすべきだろう。


2018/10/05

10/5 GM1+15+ファインダー

昨日の来客。
これがほしい。と。
ん〜、なやんで、譲るか。。

こいつにはずいぶんお世話にというか、あちこち一緒に行ったんだよな〜。
はじめての長旅はニューヨークシティーからアムトラックに乗ってフィラデルフィアでの展示とレビューに行ったっけ。。




2018/10/04

10/4 キズ

退院後、抜糸。

キズをみる。
うしろにあと二つあるから計5カ所か。。。


2018/10/02

10/2 若者のサポート

退院後の仕事、9/26、9/28、10/2、まずここをお願いしたSくん。
自身も撮影を受注しているというから、いろいろ詳しい。
師匠がhasselblad使いなのも、スキルがついていて助かる。
かたづけたかも丁寧だし、気が利く。動きもいいし。
いいね〜、アシストしてくれるのって。
なにより同じセットが半分近くの時間で完了するのって、すごいよね。

こにおあとももう少しお願いしたいと考えている。

ホテルの食事撮影だったが、我々二人に豪華なお昼ご飯をありがとうございました。
恐縮です。


2018/09/29

9/29 お別れ会

編集人。釣り人。

若杉氏は撮影の打ち合わせに行く度、こちらの話を引き出すことのうまさに感心させられるし楽しいのだが、なによりこれまでの彼の経験話がまた楽しい。楽しかった。
話は人を惹きつけ、深く、自分までその現場にまるで居るかのような。
ネタの多さ、抑揚。全身で話してくれる。

人間力の素晴らしい方だった。もうあの声を聞けない。

ご冥福をお祈りいたします。


2018/09/26

9/26 退院後の初仕事

術後につけている装具。
これで反対の肩から左の腕を吊り、肘を体から離すという状態を保つ。
購入費4万少し。ドイツのデザインというものらしい。
なかなか値が高級品。。。

これを装着して、撮影へ。
今日は某事務所の若者22歳に手伝っていただく。

現場では、いつもいない撮影アシスタントに皆が興味津々。
なんか現場が和むね。
若者の撮影フォロー、よかった。
いいもんだね。
sくん、ありがと。
で、そういう風に育てている某事務所のt氏もやはりすごい、そうおもう。

2018/09/23

9/23 入院外出、作品鑑賞

100歳の方々が写っている写真を鑑賞に。
外出許可を得て、久しぶりに病院を出た。
天気も良くって、まず事務所に立ち寄る。
それから地下鉄でバスセンター。
中央郵便局〜札幌駅と歩き、JRに乗って新札幌へ。

ギャラリーには作家さんもいらっしって少し話しが聞けたのは良かった。
すごいなぁ、100年以上も生きるって。
そしてその人たちと向かい合う写真家。
そのどちらにもものすごい力が必要なんだろうとおもわされる。


2018/09/22

9/22 入院中の打ち合わせ

13時。
お二人がここの部屋へ。
この入院個室で良かった。
周りに気兼ねなく打ち合わせとかできる。
うちのつれに桑園スタバの珈琲など買ってきてもらい。
さて開始。
機材や進め方など、昨夜作っておいた資料をもとに話しをすすめた。
ではでは、退院後の現場のフォローを宜しくお願いいたしまする!

そしてT氏から見舞いの品を頂戴してしまった。
お気遣いありがとう!


2018/09/20

9/20 たしかに痛みがひどい

午前0時には麻酔が切れてきたようで左眼、左手のしびれもとれてきた。
3時、序序に痛みだし5時ころから最大限かもしれない痛みに耐えていた。
点滴でやや改善するが、昼すぎまで鈍痛。
午後、坐薬をしてもらい痛み止めが効いてほっとした。

k氏が入院前の情報として体験談をはなしてくれていたが、これなのか。。。
痛すぎる。。。。


2018/09/19

9/19 手術

6時前起床。
今日も晴れた。

緊張。
昨日この部屋に入ったときから置いてあるスケジュール記載の紙がある。

18日 20時 下剤二袋服用
19日 0時以降食べ物禁止(以降お茶・水のみ)
19日 10時から飲み物禁止
19日 11時 点滴開始
19日 13時 手術室入室

便はでたかと何度も確認され、
時間になったら帽子をかぶって自分で歩いて入室します、と。

ひんやりした部屋に青い手術着の人たち数名が待っていた。
2−3段登り、自力で台に仰向けになる。
見覚えある麻酔科の女医さんが、周りへの指示とわたしへの説明をしてくれ、
点滴、心電図をつけられ口元に酸素ですってマスクをあてがわれ。。。

意識がもうろうとしているなか、部屋に戻ったよう。
看護師さんが自分に声をかけながら覚醒させ、病衣を着せてくれているみたい。
もう終わったんだ。



三時過ぎている。けっこう時間かかったみたいだ。






2018/09/18

9/18 入院日

連休の良い天気だったが、今日も晴れ渡ってる。

ついに入院日。
7月4日から痛みに耐えてきた。
約束の10時入り。
受付済ませると二階の病棟へ促される。

ここが何日かお世話になる部屋かぁ。
さて、退院までここで何が出来るだろうか。
手つかずのイメージデータや未読本を持参したのだが。




2018/09/16

9/16

入院前日・・
落ち着かない。
しかし、小樽での写真展と小樽の町歩きを。

2018/09/09

9/9 昨日の夕日

きのうのゆうひはいつになく...
これも大地の揺れた影響なのだろうか..
余震はまだつづく


9/8  182555


2018/09/08

9/8 新千歳空港

「チェックイン済みで預け荷物のある方はこちらです」本来の場所から遠く離れたところまで荷物預けの人が列を作っている。
一つの荷物を預けるためにそこに一緒に並び小一時間かかった。
東京から北海道へらしていた叔母を見送りに空港へ行ったが、中はいつもとまるで違う雰囲気。冷房弱々しく、人も多い。
床に座り込んでいる人、そこで寝ている人。販売店ブースはシャッターが降り、航空会社カウンター前は人でごった返していた。早めに空港へ来たのはよかった。
14時台の飛行機だがお昼頃には搭乗口へ見送り完了。






2018/09/07

9/7 入院〜手術日

昨日8時台に見知らぬケータイからの着信。
こんな混乱気味の最中、自分が入院を予定をしていた病院の看護婦さんからだった。
「病院も電気がきておらず対応出来なので、今日はこないでください」と。
対応は目処がつき次第連絡しますとのことだ。大きな災害の中、早きの連絡ありがたい。
それにしても二ヶ月もなんとも言えない夜どうしの痛みに耐えてきたのに、なんということか延期だ。なんだろ今期自分はついていないのだろうか。。

今日は防災グッズとカメラを背負って12km歩いてきた。
市内の被害は小さいようで目に見えるものはない。
給水ポイントができていたりする一方、店という店が閉店している。停電のダメージが大きいようだ。ところどころの渋滞はガソリンスタンド。営業している店はどこも長蛇の列となっている。

波打ってしまった道路は既に復旧が始まっている。はやい。





2018/09/06

9/6 大地震から停電長期戦か

3時少しの大きな揺れとスマートフォンのけたたましい警戒音に飛び起きる。
まずい。すごい。揺れが。
揺れながらへやの中をあるき、照明をつけ、閉じ込められないように玄関の鉄製のドアを開け、ガス栓を確認。それからないをどうしたいたか記憶にないけど、
さいわいなことに家具が倒れたりする前に揺れはおさまった。一分もなかったとおもうが心臓も感覚もそれからずっとどきどきしていておさまらない。
スマホの情報を見る。震源は苫小牧方面らしい。

廊下に出てきた同階の人と声を掛け合う。
お互い無事だ。
よかった。

水を溜め、傾きかかったものを直し、避難セットを確認したりしていたころだとおもう、部屋が暗くなった。廊下はついているのに部屋の電気は落ちた。
停電がくる。おそらく廊下もそのうちにとおもったすこしあとやはり消えた。
ベランダから見える街もくらくなった。
まだ3時半前くらいだったとおもう。

避難セットから懐中電灯と手回し充電機能付きのラジオを取り出しつけてみる、大丈夫動く。ラジオから地震についての情報が流れてくるがやはり随分大きな規模の地震のようだ。いくつか余裕があることを確認し、同階の車いすの住人と8階の90代のおばあちゃんにこえを掛けラジオ聞くんだよとか言いながら懐中電灯をひとつづつわたしてきた。
その間も余震はつづき、その度にゾッとしていた。
やがて水も止まる。

部屋にもどって少し落ち着くと不安になり、
熊本の震災を振り返る。
28時間後の本震とある。
余震であれ本震であれ、今以上の揺れも想定しておかなければならないということがわかる。

こぼれた水槽を片付け、落ちたものの整理やこれから落ちそうなものの移動をあわただしくすすめる。

電気が止まると全てのことが出来なくなるんだと改めて知る。
灯りがつかない。
モデムなども作動しないのでネット不通。
給湯器が動かない。(冬ならストーブも点火できない、、)
高層物件は上層タンクくみあげなので水も止まる。
冷蔵冷凍機能もダウン。。
インターホンも鳴らず。
電気製品だがつかえるものは電池式。
電池で動くラジオ。
電池の懐中電灯。
充電されたスマホやケータイなどの機器。

揺れてから2時間くらいで日が出てきた。明るくなって少し安心できる。
停電の原因は発電所にあるらしく、長期戦になりそう。

8時、事務所のかだずけに出かける。
棚の崩れや本が落下はしていたが、被害は少ない。
二次被害のなきよう上のものを降ろす。
これで少しは安心できる。

発生日夕方街を歩いてきた。
ススキノは真っ暗で不気味。そんな中大勢の人が歩道を行き交う。
外国人旅行者が多い。
皆ホテルに入れないのだろうか、それとも狭く暗い部屋より人の多い路上の方が安心なのか。









2018/08/02

2018/07/10

7/10 初診察

帰国して、荷物ほどいて、最初のやることは病院へ行くことだろう。
痛い。とにかく痛い。
で、何処の整形外科へゆくべきか考え、小さめで近くて、評判のよいところにしてみた。
夕方の整形外科は空いていて、レントゲンも診察もほぼ待ち時間なし。
すてき。

で、痛みが退かなかったらまたきてくださいということで、骨折なしの一安心。


2018/07/04

7/4 転倒事故

昼下がり、森をあるき車に戻る直前にやってしまった。
両足が浮いた。。
下は岩盤。。。

肩と腰を強打してしまった。
やばいくらい痛む。
特に肩が。




2018/07/03

7/3 キリヤッカラルーキキラ



雨の中ドライブだつたが。2時間ほどでトゥルク。
街にはいる少し前から雨はあがった。
まずは西端の城トゥルク城へ。
小さな丘に建つ石造りの建築だ。

市場をのぞく。

職人の村へ。

すでに夕方にかかっていて、ここから40−30分だろうか、まずは
東へ戻ったところのsaloの街へ。そこから南下し今晩の宿キリヤッカラルーキキラへ。
移動途中で、チェックイン時間に間に合わないことに気づく。慌ててExpediaのメッセージを使い到着が遅れる旨の連絡を宿へしてみた。運が良いのか完成されたシステムだからなのか少しの後宿から返事が、まだしばらくここにいるから安心してって書かれている。
ほっとした。

それでも細めの町道のような対面通行の舗装道路をそれ細い未舗装路に入る。みどり深い森へすいこまれるように、それでも慎重に車を走らせた。
なんとも言えない緊張館。

teijo国立公園内のホテル、キリヤッカラルーキキラは、管理棟といくつかの離れが森に点在するコテージスタイルとでも言う作りで、自然の中でゆっくり休めそうな雰囲気満点。
その内一番管理棟から遠い一つを案内された。すてきな宿だ。