2018/09/23

9/23 入院外出、作品鑑賞

100歳の方々が写っている写真を鑑賞に。
外出許可を得て、久しぶりに病院を出た。
天気も良くって、まず事務所に立ち寄る。
それから地下鉄でバスセンター。
中央郵便局〜札幌駅と歩き、JRに乗って新札幌へ。

ギャラリーには作家さんもいらっしって少し話しが聞けたのは良かった。
すごいなぁ、100年以上も生きるって。
そしてその人たちと向かい合う写真家。
そのどちらにもものすごい力が必要なんだろうとおもわされる。


2018/09/22

9/22 入院中の打ち合わせ

13時。
お二人がここの部屋へ。
この入院個室で良かった。
周りに気兼ねなく打ち合わせとかできる。
うちのつれに桑園スタバの珈琲など買ってきてもらい。
さて開始。
機材や進め方など、昨夜作っておいた資料をもとに話しをすすめた。
ではでは、退院後の現場のフォローを宜しくお願いいたしまする!

そしてT氏から見舞いの品を頂戴してしまった。
お気遣いありがとう!


2018/09/20

9/20 たしかに痛みがひどい

午前0時には麻酔が切れてきたようで左眼、左手のしびれもとれてきた。
3時、序序に痛みだし5時ころから最大限かもしれない痛みに耐えていた。
点滴でやや改善するが、昼すぎまで鈍痛。
午後、坐薬をしてもらい痛み止めが効いてほっとした。

k氏が入院前の情報として体験談をはなしてくれていたが、これなのか。。。
痛すぎる。。。。


2018/09/19

9/19 手術

6時前起床。
今日も晴れた。

緊張。
昨日この部屋に入ったときから置いてあるスケジュール記載の紙がある。

18日 20時 下剤二袋服用
19日 0時以降食べ物禁止(以降お茶・水のみ)
19日 10時から飲み物禁止
19日 11時 点滴開始
19日 13時 手術室入室

便はでたかと何度も確認され、
時間になったら帽子をかぶって自分で歩いて入室します、と。

ひんやりした部屋に青い手術着の人たち数名が待っていた。
2−3段登り、自力で台に仰向けになる。
見覚えある麻酔科の女医さんが、周りへの指示とわたしへの説明をしてくれ、
点滴、心電図をつけられ口元に酸素ですってマスクをあてがわれ。。。

意識がもうろうとしているなか、部屋に戻ったよう。
看護師さんが自分に声をかけながら覚醒させ、病衣を着せてくれているみたい。
もう終わったんだ。



三時過ぎている。けっこう時間かかったみたいだ。






2018/09/18

9/18 入院日

連休の良い天気だったが、今日も晴れ渡ってる。

ついに入院日。
7月4日から痛みに耐えてきた。
約束の10時入り。
受付済ませると二階の病棟へ促される。

ここが何日かお世話になる部屋かぁ。
さて、退院までここで何が出来るだろうか。
手つかずのイメージデータや未読本を持参したのだが。




2018/09/16

9/16

入院前日・・
落ち着かない。
しかし、小樽での写真展と小樽の町歩きを。

2018/09/09

9/9 昨日の夕日

きのうのゆうひはいつになく...
これも大地の揺れた影響なのだろうか..
余震はまだつづく


9/8  182555


2018/09/08

9/8 新千歳空港

「チェックイン済みで預け荷物のある方はこちらです」本来の場所から遠く離れたところまで荷物預けの人が列を作っている。
一つの荷物を預けるためにそこに一緒に並び小一時間かかった。
東京から北海道へらしていた叔母を見送りに空港へ行ったが、中はいつもとまるで違う雰囲気。冷房弱々しく、人も多い。
床に座り込んでいる人、そこで寝ている人。販売店ブースはシャッターが降り、航空会社カウンター前は人でごった返していた。早めに空港へ来たのはよかった。
14時台の飛行機だがお昼頃には搭乗口へ見送り完了。






2018/09/07

9/7 入院〜手術日

昨日8時台に見知らぬケータイからの着信。
こんな混乱気味の最中、自分が入院を予定をしていた病院の看護婦さんからだった。
「病院も電気がきておらず対応出来なので、今日はこないでください」と。
対応は目処がつき次第連絡しますとのことだ。大きな災害の中、早きの連絡ありがたい。
それにしても二ヶ月もなんとも言えない夜どうしの痛みに耐えてきたのに、なんということか延期だ。なんだろ今期自分はついていないのだろうか。。

今日は防災グッズとカメラを背負って12km歩いてきた。
市内の被害は小さいようで目に見えるものはない。
給水ポイントができていたりする一方、店という店が閉店している。停電のダメージが大きいようだ。ところどころの渋滞はガソリンスタンド。営業している店はどこも長蛇の列となっている。

波打ってしまった道路は既に復旧が始まっている。はやい。





2018/09/06

9/6 大地震から停電長期戦か

3時少しの大きな揺れとスマートフォンのけたたましい警戒音に飛び起きる。
まずい。すごい。揺れが。
揺れながらへやの中をあるき、照明をつけ、閉じ込められないように玄関の鉄製のドアを開け、ガス栓を確認。それからないをどうしたいたか記憶にないけど、
さいわいなことに家具が倒れたりする前に揺れはおさまった。一分もなかったとおもうが心臓も感覚もそれからずっとどきどきしていておさまらない。
スマホの情報を見る。震源は苫小牧方面らしい。

廊下に出てきた同階の人と声を掛け合う。
お互い無事だ。
よかった。

水を溜め、傾きかかったものを直し、避難セットを確認したりしていたころだとおもう、部屋が暗くなった。廊下はついているのに部屋の電気は落ちた。
停電がくる。おそらく廊下もそのうちにとおもったすこしあとやはり消えた。
ベランダから見える街もくらくなった。
まだ3時半前くらいだったとおもう。

避難セットから懐中電灯と手回し充電機能付きのラジオを取り出しつけてみる、大丈夫動く。ラジオから地震についての情報が流れてくるがやはり随分大きな規模の地震のようだ。いくつか余裕があることを確認し、同階の車いすの住人と8階の90代のおばあちゃんにこえを掛けラジオ聞くんだよとか言いながら懐中電灯をひとつづつわたしてきた。
その間も余震はつづき、その度にゾッとしていた。
やがて水も止まる。

部屋にもどって少し落ち着くと不安になり、
熊本の震災を振り返る。
28時間後の本震とある。
余震であれ本震であれ、今以上の揺れも想定しておかなければならないということがわかる。

こぼれた水槽を片付け、落ちたものの整理やこれから落ちそうなものの移動をあわただしくすすめる。

電気が止まると全てのことが出来なくなるんだと改めて知る。
灯りがつかない。
モデムなども作動しないのでネット不通。
給湯器が動かない。(冬ならストーブも点火できない、、)
高層物件は上層タンクくみあげなので水も止まる。
冷蔵冷凍機能もダウン。。
インターホンも鳴らず。
電気製品だがつかえるものは電池式。
電池で動くラジオ。
電池の懐中電灯。
充電されたスマホやケータイなどの機器。

揺れてから2時間くらいで日が出てきた。明るくなって少し安心できる。
停電の原因は発電所にあるらしく、長期戦になりそう。

8時、事務所のかだずけに出かける。
棚の崩れや本が落下はしていたが、被害は少ない。
二次被害のなきよう上のものを降ろす。
これで少しは安心できる。

発生日夕方街を歩いてきた。
ススキノは真っ暗で不気味。そんな中大勢の人が歩道を行き交う。
外国人旅行者が多い。
皆ホテルに入れないのだろうか、それとも狭く暗い部屋より人の多い路上の方が安心なのか。









2018/08/02

2018/07/10

7/10 初診察

帰国して、荷物ほどいて、最初のやることは病院へ行くことだろう。
痛い。とにかく痛い。
で、何処の整形外科へゆくべきか考え、小さめで近くて、評判のよいところにしてみた。
夕方の整形外科は空いていて、レントゲンも診察もほぼ待ち時間なし。
すてき。

で、痛みが退かなかったらまたきてくださいということで、骨折なしの一安心。


2018/07/04

7/4 転倒事故

昼下がり、森をあるき車に戻る直前にやってしまった。
両足が浮いた。。
下は岩盤。。。

肩と腰を強打してしまった。
やばいくらい痛む。
特に肩が。




2018/07/03

7/3 キリヤッカラルーキキラ



雨の中ドライブだつたが。2時間ほどでトゥルク。
街にはいる少し前から雨はあがった。
まずは西端の城トゥルク城へ。
小さな丘に建つ石造りの建築だ。

市場をのぞく。

職人の村へ。

すでに夕方にかかっていて、ここから40−30分だろうか、まずは
東へ戻ったところのsaloの街へ。そこから南下し今晩の宿キリヤッカラルーキキラへ。
移動途中で、チェックイン時間に間に合わないことに気づく。慌ててExpediaのメッセージを使い到着が遅れる旨の連絡を宿へしてみた。運が良いのか完成されたシステムだからなのか少しの後宿から返事が、まだしばらくここにいるから安心してって書かれている。
ほっとした。

それでも細めの町道のような対面通行の舗装道路をそれ細い未舗装路に入る。みどり深い森へすいこまれるように、それでも慎重に車を走らせた。
なんとも言えない緊張館。

teijo国立公園内のホテル、キリヤッカラルーキキラは、管理棟といくつかの離れが森に点在するコテージスタイルとでも言う作りで、自然の中でゆっくり休めそうな雰囲気満点。
その内一番管理棟から遠い一つを案内された。すてきな宿だ。

7/3 europcar

ヨーロッパでレンタカー。
はじめてのこころみにどきどき。

BMW 318i わぉ、キレイ。
走行距離わずかの新車に近い。
こーいうのじゃなくてぼろいのでいいんだけどなぁ。。

これから左ハンドルで初ドライブ。


2018/06/29

6/29 ミーティング


6/29
広告写真家協会の会合は枝幸の料理屋札幌すすきのにて。
いやはや、また呑んで余計なことをしゃべりすぎてしまった。。
しかし、なんか良い方向へ舵をきらなくちゃならんのは資料をみていて感じる。現状把握と早い判断、決断が求められるようだ。

2018/06/28

6/28 留萌まで


なぜだろう、ふたたびオロロンライン。
留萌。
石狩の原生花園、厚田周辺の花撮影。
昨日は良かったという留萌港のマメイカだが今日はさっぱりだという。群れは出て行ってしまったのか、北をめざして。
四ハイほどをペペロンチーノ用に捕獲。

シドニー以来のイカ釣り〜。

2018/06/22

6/22 エリモ

夜通し走って。
エリモは遠い。。
これから岬をまわってその先の沼を目指す。

2018/06/20

After the Snowstorm / ゆきのあと



Japan style hand binding book  "After the Snowstorm" material is Washi.
so this size 210×297mm, Edition 30 only. 
Edit at the 30 winter plants images and 30 indigenous Ainu words.
Capture in HOKKAIDO all photograph. 

和紙プリントを和綴じしたハンドメイド写真集 "ゆきのあと"  A4サイズ、エデイション30の限定。
北海道で撮影された30の冬の植物と30のアイヌの言葉で編集。

100.00USD

Order by e-mail.
Please, from my website information from e-mail
問い合わせはwebのインフォメーションよりe-mailにて

2018/06/16

sarobetsu / 16 Jun



オロロンライン。
石狩〜留萌はワインディングが連続、小平を過ぎ苫前、羽幌初山別、序序にストレートラインが増え、手塩からの道道までくると人工物が一気に無くなりひたすら直線舗装道路がつづく。来たな、と感じる。
北海道はすばらしいといつも再認識させてくれる大好きな所。

エゾカンゾウの黄色とエゾスカシユリの橙色、はまなすの紅やエゾニュウの白がちりばめられてうつくしい。
今日は微風なうえ海も凪いでいる、そらは青空がひろがって穏やか。
日没のサロベツは大地に無数の花々、その先を日本海が北へ流れ、遠く利尻山、上空に月。
気温が一気に下がった。

往復600km
北海道もなかなか広い。