あぁ、やっと第一段階としてまとめました。
先生、よろしくお願いいたします。
gw最終日、事務所缶詰でなんとか 一回目の論文草稿が完了間近に迫れた。筋が通っていなくてここまでにずいぶん書き直して苦しい思いをしている。一回目は先生へ直接送ることになるので、緊張感高い。メールの文面もきちんとしなくては。
去年の秋に頼んだフィルムカメラがようやく発送されるという知らせを受け取った。詐欺にあったかと思ってビクビクしてたんで、気分よく到着を待とう。
終わりは必ずやってくるもの。
一つの枠のために、三案のラフを描き、三案すべて撮影し、使用に耐えうる精度へ完成させる。こんなことを年間六回、数年の間続けてきた。
当初、うちの事務所へ6-7人来所され緊張感のはげしい現場だった。いつからかディレクション担当の一人になって、和やかな雰囲気で進めていた。あるとき同じ媒体の別の場所へ同じ素材を使いたいと申すので、撮影料据え置きで追加した。が、それには別企画のご依頼もいただいている感謝の気持ちのつもりだったのだが、やがて別企画の方は自然消滅的に無くなり、追加の素材撮影はそのまま残った。こちらの気持ちなんていうものは伝わっていないのだよね。たぶん重要だったのはお得感だけだったのかもしれない。担当が替わると、撮影ラフを提案してくれるようになった。私がラフ案を提案していることと、素材を探し仕入れていることに、驚きつつありがたいといってくださってなんか救われた。しかしやがて、誰かが撮った素敵な画像が次回案として提供され、それに映っているような小道具を集め、それをコピーしないように気をつけながらも、それは心苦しさと反省でしかない。また次の担当の方は、毎回三案制作することに抵抗感を示していたのも、なんというか印象的だった。
そしてある日、今日が最後と告げられた。二ヶ月後はもうない。
何かできることにほめられて。
次に繋がって。
完成品を皆で讃えて。
そつなくこなして。
これまでできていたことが終わりになると、これまでできていたことがどんどんできなくなってきて。
人の真似ばかりで。
気づけば忘れ去られて。