2024/03/28

3/28 4年半

 腎臓を一つ摘出してから四年半が経過し、半年ごとの経過観察日なので早起きして市立病院へ。左腕から採血、尿検査、そして1時間後に造影剤を使うCT撮影。この造影剤用のぶっとい針と、薬剤が体にまわる感じはどうも慣れない。

m先生、「問題なしっ」と。ありがとうございます、ほっとしました。

しかもCrの値が、腎臓二つある人の基準内へ今回初めて収まった。右だけで頑張ってくれている証。大切に、大切に。


2024/03/17

3/16 通信教育課程芸術学部芸術学科芸術学コース 卒業


バスを降りて正面の階段を上る。そこからさらに卒業会場へはずいぶんたくさんの段数の階段。瓜生山にあるキャンパスが山の斜面に立っているのを多分初めて実感した。三年前の入学式には来ていないのでこの階段を登るのが初めてなのは、スクーリングなどで何度か登校していたが土日は正面が閉まっていて登れなかったので。昨夜の前夜祭に続いて、今日も会場入りする前にOさんに会えた。おかげさまで恐れていた孤独感は和らいでいる。感謝。

卒業式がどんなものかなどという記憶はほとんど消えている。なぜならそれはおそらく35年前が最後だから。周りが皆同士とへ言葉を交わし騒々しいがやがて開式が促されると静かになった。校長の言葉や、来賓の祝辞を受け、和太鼓の演奏が始まった。ずんずんと全身に響いてくる演奏を聞いているうちに、なぜだろう涙がじわり。

ちょっとクールに構えていた自分だったけど、実際には入学から卒業へ向けて学んだ事は多くあり、レポートを書いては試験を受け、スクーリングを受けてはレポートを書き、果たして自分にはできるんだろうかと疑問を持ちながら始めた卒業論文は完成までに1年半かかっている。常に追い詰められていてあまり実感をしていなかったけど、じわりと涙が出るほどやはり自分なりに頑張ってきたのかもしれない。それがじわり涙となってあらわれた。

分科会では、卒業証書が一人ひとりに江本先生から渡され、その後それぞれが一言のべる場面があって、最短の2年でやりきった方、たいへん長い時間を要した方、在学中の生活の激変に悩まされた方、若い頃のトラウマを乗り越えた方、多くの生徒がそれぞれたいへんな思いで一つ乗り越え卒業を迎えたことを聞くことができ、また励みにもなった。みなさん卒業おめでとうございます。

そして自分へ、ひとまずおつかれさま。


卒業研究展では最終提出した論文が提出時そのままの形で、一部ごとにファイルに収められインデックスがついてここに並んでいた。総勢55名、およそ11万字の研究の成果である。このうちの一冊が自分のもの。
『日本写真の導き出す時間のかたち -近・現代美術としての写真ー』本文17ページ19752文字、資料編31ページ





2024/03/06

3/6 選考の結果

道北での撮影が無事終わって16時、帰路に着いた。そう、今日は朝から6灯必要な大掛かりな撮影だったことに加えて、学びの場の結果発表日でもあった。資料の締め切りがブレゲンツへ旅立つ前だったので、そこまでにまとめてサーバアップと一部郵送のものを発送しておいた。

「あなたが研究したいことを明確に」

この問いに現状最も興味のある「空中像」についいての研究であることをプランした。もしかして入学してから別テーマや写真論への変更もありうるけど、現状思い入れも強くてうまくプレゼンテーションできそうなテーマに絞って挑んだおいた。

撮影でバタバタしているなか、11:32にメールが受信されていた。表題が『入学選考結果について』。いや〜ドキドキ、本文見ないと内容がわからない仕掛け。

「芸術研究科入学専攻において、合格しましたので、通知します」

おぉ、合格。これを始めるとまた最低2年は悩み続けることになる。思いきってはじめるか、辞退するか。早急に判断しなくては。


2024/03/04

3/4 卒業判定

 待ちに待った判定日。朝から待つものの学校マイページにある成績欄の卒業判定は「 - 」のまま。ん〜発表は昼くらいか。。。 午後1時、ついに「 可 」という表示へ変わった。これで通信制とはいえ大学での三年の学びが一区切りとなった。あぁ頑張ったなぁ。

この年齢で卒業式に出席することがあるとは数年前にはまるで考えていなかったし、なかなか無い機会だから出席のために旅の予定を固めた。最初の2年はそれぞれの学び全てに追われ、最後の一年は論じることの責任や丁寧な説明に苦しんだ。でも、こうして終わってしまうものなんだなぁ。

三年間にいろいろなことを学んだんだけど、いろいろ忘れてしまっていて論理立てて語れることは特にないと思う。ただ、歴史の流れへの関心や、表現されていることへの興味の幅は広がった。そして表現について深く深く研究している人達がいることを知った。

自分のエデュケーション欄、 ”芸術学部卒業” という一行が増える。

2024/02/26

2/26 Bregenz, Back home 2

 羽田23時少し前のはやめの到着だった。トランジット8時間半くらいの翌日7時半の便なので、体調も良くないしベンチで寝るのはどかと考え急遽宿をとった。蒲田駅近くのところ。ここがけっこうよくって。新しいし、お安めだし、朝早い人にはかんたんな朝食セットを持たせてくれるし。

こうしておよそ40時間かけて日本の北海道の札幌までもどってきた。夕べはホテル泊まりにしたのもよかったのか、喉の痛みはずいぶん和らいだし体調もまずまず。お待たせしているお見積りと明日の撮影の準備だけはすすすめておこう。


またね、ブレゲンツ!


2024/02/25

2/25 Bregenz day4, Back home 1

 九時、予約しておいたユーロシティEC198が定刻ホームへ滑り込んできた。こちらの列車はブレゲンツとズゥリヒ空港を結ぶエアポート連絡列車のようだったけどすでに乗客はおり、大陸のどこからきたのだろう。ECはその名の通り国境超えの大陸横断特急なので、主要駅のみに停車するタイプ。しかしとにかく外観が洗車後のようにピカピカで、イタリアのフレッチャロッサやイタロに美しさでとっても差をつけている。列車は我々をのせるとすぐにライン川を越えスイスへはいった。数日前に滞在したザンクト・ガレン、そしてズゥーリヒ国際空港まで1時間15分ほど。そいえば、ザンクト・ガレンからユニークなおじさまが同じ客車のおとなりの席へ乗り込んできた。ふた席を埋めるクジャクのような帽子と、おなじ素材感の衣装を纏っている。全身みどり。謝肉祭への参加だとメモを見せてくれた。

スイスの空港ビルはスーパーが2軒はいっていて最後の買い物にちょうどよいのだけど、スーツケースは行きのときから余裕はすくなく、泣く泣くあまり買い込めずにパッキング完了。でも、アヒルとかニワトリの置物的立体チョコレートはペットボトルを加工して大事にしまいこんでいたりしている。ターミナルで最後のスイスビールもうまかった。でも、どうもこのあたりから結構体調不調でね、喉がいたいし疲れもひどい。あぁ。これから6時間のフライトでドーハへ、そこで7時間程のトランジット、こんどは羽田行き11時間ほどのフライトのあとに8時間のトランジット。。。



下の車窓の風景は、ライン川の右岸オーストリアと、左岸スイス。河畔や護岸の違いが興味深い。





2024/02/24

2/24 Bregenz day3


駅、郵便局、美術館、商店街、歴史的城跡、野外オペラ会場、湖どこへでも歩いて行けるこぢんまりした街ブレゲンツ。そしてこのまちにも高所から街を見下ろす方法があって、それはプフェンダーロープウェイ。もちろん乗り場へも歩いて行けたし、駅を目指していると、歩道に「プフェンダーはこちら」というプリントが点在しているので安心して向かえる。

待合室では一緒になったゴールデンレトリバー君に気に入られ、なぜなぜしてたらべろべろしてかんげいしてくれてとまらなくなっちゃった。。洗礼をうけ山頂へ。同乗した家族のおとうさんは、あっちに山羊や鹿がいるし、反対側の建物はカフェだよって親切におしえてくれた。やまの上はすこし小雪がぱらついていて、それで積もるようなけはいはない。ここには黒白のネコがまっていた。じっと見つめてみると、走り寄ってきて、スウリスリ。つぎは猫の洗礼。。あまりかまってもらうとアレルギー反応がでそうなのでこのへんで。ありがとう。ちなみにこのロープウェイで登ってくると1000mを超えている標高なんだよなぁ。街も湖も、振り向くとスイス方面の山も谷も、そしてライン川を見渡せる。


下山して、午後から会場入り。昨日同様、波はあるもののイバショのブースは興味を持ってスゥーって入ってきてお好みの作品へ見入っているお客様が多くて活気がある。濃いめの色あいの作品に囲まれている ゆきのあと だけど、女性客のおおくが何かに惹きつけられるように真っ直ぐ向かっていって、じっとながめてニヤリと笑みを浮かべている人がじつにおおい。その反応はとても新鮮だし興味深いし、何かしらの手応えを感じずにはいられない。まっ白いなかのシャープな枯れ草。中にはギャリストへ質問を始める方もおり、別絵柄をじっくり見入ってくれていて、なんだか恥ずかしい感じ。中には、色々みた上で、やっぱり展示しているあのプリントに決めるっなんてお客様もいらっしゃった。ほんとに感謝です。

色々提案できるような準備も必要そうで、ブラッシュアップが必要なのか、このままでなくてはならないのか。石橋さんからは、常に売れるよう形にしておきすぐに提案できるといい、という意見も頂戴したし。課題も多く残した私の会場滞在最終日であった。


夜はギャラリストにお誘いを受けディナーをご一緒させていただいた。わたしは子牛のスモークにツナソースがけのアペリティフと軽めに。横の人はシュニッチェルというオーストリアの郷土料理を一昨日に続いてリピート、そしてお店せ自慢の大盛りデザートでシメ。今夜でお別れである。長いようであっという間に過ぎる時間。私らはあす九時の列車に乗る。マルティンさん、こんかいの経験をさせてくれてありがとうございました。かるく抱擁し、お互い暗い夜道をそれぞれの方向へあるき別れた。次のための準備が必要なんだとかみしめる。